こんにちは。大関です。
今回は、歴史を振り返りながらWORKOUTの大切さを感じられたらと思います。
昨日(2021年1月3日)、本能寺の変の首謀者と言われている明智光秀は実は本能寺の変の現場には行っていなかったのではないか?というニュースがありました。
https://www.asahi.com/articles/ASP136HT4NDZULZU009.html
時代劇の描写などでは、光秀は本能寺にガッツリ行っています。
しかし、それを証明する記述は見つかっていないとの事。
いつも信長にバカにされたりDVを受けていた怨恨説というのが有名なので、自分で現場に行って自分で指揮をとったと想像してしまいます。
ましてや裏切り者は酷い目にあわせる事の多い信長ですから、光秀にとってはヴェルタースオリジナルの飴のCMのおじいちゃんが孫に思う感情と同様でしょう。
つまり、特別な存在という事です。
しかし今回、光秀は部下に信長討伐を任せたのではないか?という記述が見つかったようです。
「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」
2021年1月3日のニュースでは富山郷土博物館の萩原大輔主査学芸員が「乙夜之書物(いつやのかきもの)」という史料の中に「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」、つまり光秀は鳥羽にいたという記述を読み解いたという事でした。
また、乙夜之書物が書かれたのは本能寺の変から87年後という事なので、現代で戦争の事を祖父や祖母に聞いているような情報の鮮度になります。
優秀な経営者も適材適所に部下を配して結果を出すので、光秀もそうだったのではないかと思いますが、やはり自分で指揮を取らなかったからこその敗因だったのではないかと思ってしまいます。
勝ったと思って自分で指揮を取らなかったのは油断だと思いますし、大関が好きなJOJOの世界でも勝ち名乗りをしたキャラは次のコマで窮地に追い込まれ、油断をしてるキャラがだいたい負けるのがとても似ています。
大関は体づくりを始める前、子供にトレーニングを教えていた友達に、「階段を使わずエスカレーターを使ったら死んだと思え!」と言われた事があります。
破綻は小さな油断から起こるので光秀もWORKOUTを日々していなかったのではないか?と思ってしまいます。
やはり体を鍛えれば精神も成長し、潜伏生活もピノの星形を探すがごとく、中々見つからなかったと思います。
歴史はifはありませんが、WORKOUTはifを想像していつでも結果を変える事ができます。
体に関しては他人任せにできない領域です。
光秀は一度天下をとりましたが3日で失ってしまいました。
それはまさにリバウンドのようですよね。
光秀のように失敗しないためにも、体づくりは自分自身が日々理想を描いてトレーニングしていきましょう。