映画プロデューサーの嶋村吉洋さん(ワクセル主催)と初代・中村獅童さん

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんおすすめの映画

こんにちは。大関です。

このブログの運営者の『嶋村吉洋(しまむらよしひろ)』さんは実業家であり作家であり投資家であり映画プロデューサーという顔も持っています。

そんな嶋村吉洋さんの生き方に個人的に似ているなと感じた方を今回はご紹介します。

その方は『初代・中村獅童(なかむらしどう)』こと『小川三喜雄(おがわみきお)』さんです。

嶋村吉洋さんと生きざまが似ている映画プロデューサーの小川三喜雄さんとは

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんおすすめの映画

小川三喜雄さんは映画プロデューサーですが元々は歌舞伎俳優です。

前述の通り歌舞伎俳優としての名前は『中村獅童』。

現在、テレビなどで活躍する『中村獅童』さんは小川三喜雄さんの息子さんというわけですね。

なので現在活躍している中村獅童さんは正式には『2代目・中村獅童』となります。

お父さんの名跡を継いだというわけです。

小川三喜雄さんは1929年に東京都府中市に生まれます。

小川三喜雄さんの家庭は歌舞伎一家です。

歌舞伎の世界は血によって構成され、血族以外には排他的というイメージを持っている人もいると思います。

小川三喜雄さんが子供の頃はそうした空気が強かった時代かもしれません。

兄弟はそれぞれ歌舞伎役者や歌舞伎役者から俳優となっており芸能一家です。

小川三喜雄さんも『中村獅童』を名乗り、歌舞伎の舞台を踏みましたが14歳の時に大御所の役者から説教をされました。

本人ではなく弟たちが𠮟られたようですが、「お前たち兄弟はだからダメなんだ」と言われ14歳の時に名跡も捨てて廃業しました。

そこからは普通の職業に就くのですが、母親から縁の下の力持ちとして弟達のフォローをする大事さを説かれます。

というのも小川三喜雄さんの兄2人は歌舞伎役者として活動しますが、弟2人は歌舞伎役者から映画俳優になっていたからです。

母親としては映画俳優になった2人の弟を助けてあげられる人が必要と思っていたというわけですね。

小川三喜雄さんは映画製作会社の東映に入社し、後に映画プロデューサーとなって弟達のフォローをしていきました。

そして自身の子供が歌舞伎の世界に入り『中村獅童』を継ぐわけですが、14歳で廃業しているので子供に自身が歌舞伎をしている姿は当然見せていません。

しかし子供が「その名前を継ぎたい」と思う、立派な生き方を親としてしていたのかなと思います。

小川三喜雄さんは2008年に亡くなっています。

映画プロデューサーとして弟達のフォローをする所が嶋村吉洋さんと似ていると感じる

 

大株主の嶋村吉洋さんの映画製作
記事の冒頭で嶋村吉洋さんと小川三喜雄さんの生き方が似ていると書きました。

個人的には小川三喜雄さんが弟のために仕事の分野を変えて映画プロデューサーになった事が嶋村吉洋さんと重なりました。

嶋村吉洋さんは「強い生き物が生き残るのではなく柔軟に変化する生き物が生き残っている」と言います。

常に柔軟に変化してその時その時最高のパフォーマンスを発揮することは大事ですね。

また「満潮の時はわからないが、潮が引いた時に誰が水着を着ていないかがわかる」という話も聞かせていただいたことがあります。

これは今何もしなければ将来必ず起こる変化の時に危機を迎えてしまうという事です。

物事を先読みして先手を打つのは似ているなと感じました。

そして子供が名を継ぎ、名が大きくなりました。

嶋村吉洋さんの周りを見ると優秀な次世代の人材がたくさんいます。

血がつながった関係ではありませんし、歌舞伎の世界ではないので名を継ぐような習わしはありませんが。

これからも映画も見ながらWORKOUTも継続していきましょう。

 

ワクセル主催嶋村吉洋さんがとなりの億万長者が17時になったらやっていることという本を出版しました