立花誾千代 戦国時代に活躍した女性武将

嶋村吉洋も尊敬する立花誾千代

立花誾千代

引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E8%AA%BE%E5%8D%83%E4%BB%A3

こんにちは。大関です。

最近は女性の活躍の場がかなり増えていますね。

オリンピックではトランスジェンダーの元男性が女性選手として初めて出場するなど、男性、女性という垣根がどんどんなくなってきています。

もちろんいろいろな意見もあると思いますが、世界で閲覧される大会で公式的に行われたことなので、これからはたくさんの問題が起こったりもしながらも解決に向けて世界が動いていくんだと思います。

現代はジェンダーの問題は活発に動いていますが、過去はそうではありませんでした。

特に戦国時代は戦いは男の物というイメージが多かったと思います。

しかし、調べるとそうではありません。

過去に吉岡妙林を紹介した記事にも書きましたが、有名なものではNHKの大河ドラマで2017年に放送された「おんな城主 直虎」では井伊直虎という女性城主が描かれました。

今回は、戦国時代に活躍した女性第2弾として「立花誾千代(たちばな ぎんちよ)」を紹介します。


井伊直虎や吉岡妙林とトークセッションが見てみたかったですね。

7歳で城主、34歳までの短くて濃い人生を送った立花誾千代


立花誾千代は戦国大名の大友氏の傘下で有力な武将であった、戸次鑑連(べっき あきつら)の一人娘として1569年に生まれます。

彼女の父親の戸次鑑連は、主君の大友宗麟にも堂々と意見を言える勇気を持った人物でした。

そんな父親の意志を受け継ぐかのように、立花誾千代は井伊直虎同様に、幼くして城主になります。

戸次鑑連は立花誾千代に対して、幼いころから男子さながらの教育をしていました。

そして誾千代が7歳の時に立花城の城主となります。


これは通常の男性城主と同じ手続きを踏み、主君の大友氏の許しも得て行われたことですが、当時としてはとても珍しいことでした。

その後、高橋紹運(たかはし じょううん)の長男の宗茂を婿に迎えて立花姓を名乗るようになりました。

それまでは戸次誾千代だったはずなので、ベッキーて呼ばれていたんでしょうね~。

納涼。

宗茂を婿に迎えたことによって彼が城主になりましたが、宗茂が遠征などで不在の時は、誾千代と侍女が銃を持って城を守っていたようです。

そして関ヶ原の戦いでは誾千代自身が武装して出陣して、敵の鍋島水軍に銃で応戦して寄せ付けませんでした。

さらに柳川に進軍する、当時最強の部隊を持った加藤清正の軍を威嚇して迂回させる、という活躍をしています。

しかしその後、病気になってしまい、34歳という若さで亡くなってしまいました。

かなり男勝りで戦にも強く、戦国時代において活躍しましたが、その濃い生涯はかなり早く終わってしまいます。

こういった方の活躍を見ると、時代や置かれた状況や性別など関係なく、活躍する人は活躍できると思います。

WORKOUTも言い訳をしたくなる気持ちは出てきやすいものですが、誾千代のことを思い出して言い訳をせず、WORKOUTをしていきましょう。

嶋村吉洋も尊敬する立花宗茂


立花宗茂

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82