こんにちは。大関です。
WORKOUTをして筋肉をつけ、しかもそれを仕事にしているのがプロスポーツ選手です。
しかしいかに運動神経が良くても、経験をしていないポジションでは力を充分に発揮できないということはあります。
特に、野球の捕手というポジションは専門性も高く、簡単に習得できるものではありません。
第二の監督とも呼ばれ、体だけでなく常に頭も使い、ゲームを支配して進める必要があります。
さらに近年まではコリジョンルール(本塁上での衝突を防止するための規則)がなかった関係で、ホームベース上での激しい衝突が多く、捕手には怪我がつきものでした。
重要なポジションなのに怪我の機会が多いことからベンチは複数人の捕手を用意し、捕手の人数だけは余裕を持ってゲームを終わらせるようにしています。
そうしないと不測の事態の時に試合ができなくなってしまうからです。
しかし、不測の事態に不測の事態が重なることはあります。
今回はチームの絶体絶命な危機的状況で急造捕手として活躍した、元西武ライオンズの星秀和さんを紹介します。
捕手星が退場で野手星が捕手
星秀和さんは1986年、群馬県前橋市出身です。
甲子園出場経験はありませんが、高校通算39本塁打を放ち、2004年のドラフト5巡目で指名され、西武ライオンズに入団します。
1年目は、西武ライオンズで長年正捕手の座を守っていた伊東勤さんが2003年に引退していたこともあり、期待されていました。
しかし、2006年のドラフトで入団した炭谷銀仁朗さん(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)にポジションを奪われてしまいます。
このことから内野手に転向します。
そして2012年5月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で急造捕手として活躍することになりました。
つまり2006年から2012年までは一切捕手を経験していないわけです。
この試合、スタメン捕手は炭谷銀仁朗さんでした。
そして第二捕手の上本達之さんはDH(指名打者)でスタメン出場しています。
そしてベンチには星秀和さんと同じ苗字の星孝典さんが控えていました。
さらに前年まで捕手登録で2012年から外野手に転向した米野智人さんがおり、不測の事態に不測の事態が重なっても捕手が足りなくなるということはなさそうでした。
試合は楽天が6点差をつけて先制しますが、西武は少しずつ点差を縮めます。
あと1本で追いつけると思った西武は上本達之さんに浅村栄斗さんを、炭谷銀仁朗さんに米野智人さんを代打で出します。
そして西武が1点リードをし、捕手に星孝典さんを起用します。
この時点で捕手は星孝典さんしか残っていません。
8回裏に楽天に同点に追いつかれ、さらに勝ち越しか?という所で本塁上でクロスプレイになり、星孝典さんはアウトと思ったのですが審判はセーフの判定。
ここで星孝典さんは抗議のために審判を推してしまい、暴力行為として退場してしまいます。
捕手がまったくいなくなった西武ライオンズでしたが、捕手経験者だった星秀和さんがここで呼ばれ、炭谷銀仁朗さんのプロテクターを渡されて捕手として試合に出場します。
炭谷銀仁朗さんの入団で捕手として失格とされていた星秀和さんでしたが、こんな巡り合わせで捕手としての1軍デビューを飾ります。
試合は負けてしまいましたが、8回裏を切り抜けチームを救いました。
この時の日刊スポーツの見出しは『捕手星が退場で野手星が捕手』です。
ちょっと10回噛まずに読んでみてください。
ちなみに退場してしまった星孝典さんの最初に所属した球団は巨人で「巨人の星」として話題になったようです。
このお2人は苗字で遊ばれる運命だったのでしょうか。
常に絶体絶命の時に活躍できるようにWORKOUTをしていきましょう。