こんにちは。大関です。
以前、異色の経歴を持つ選手の記事を書きました。
陸上選手として金メダルを獲得した経験がある飯島秀雄さんが、プロ野球の代走専門選手としてプロ球団と契約したというお話です。
飯島秀雄さんの記事は下記リンクからご参照ください。
プロ野球選手といえば、小さい頃から少年野球チームに所属し、中学高校大学社会人とWORKOUTをしながら野球を続けた選手がプロ契約をするイメージだと思います。
しかしそういった選手ばかりではなく、中には1度野球の道を諦めた所から家族や周りの仲間に支えられてプロ野球選手になった人もいます。
今回紹介する巨人の『増田大輝(ますだだいき)』選手は1度完全に野球から離れた選手です。
2020年に野手登録ながらピッチングを披露したことで話題になったので、名前は聞いたことがあるという方もいるかもしれません。
大学を中退、元鳶職という経歴の増田大輝選手
増田大輝選手は1993年7月29日に徳島県徳島市に生まれます。
ということはフィンセント・ファン・ゴッホと同じ誕生日ですね。
そんな増田大輝選手の学生時代は甲子園出場経験もなく、注目される選手ではなかったのですが四国地区選抜チームのメンバーとして活躍し、才能の片鱗を見せます。
その後、近畿大学に入学し野球部に所属しますが2年で退学してしまいます。
そして地元の徳島に帰ってきた増田大輝選手は生活費を稼ぐために鳶職の仕事をします。
おそらく、この頃に結婚したのだと思われます。
普通はそのまま家族を養うという道を選ぶと思いますが、高校時代のコーチや奥さんの勧めで独立リーグのトライアウトを受験します。
なんと合格し、徳島インディゴソックスに入団。
徳島インディゴソックスでは1年目からレギュラーを獲り、脚力が抜きん出ていました。
その脚力に目を付けた巨人が2015年に育成ドラフト1位で増田大輝選手を指名し、入団したという流れです。
その後は入団2年目で育成選手から支配下選手になり、代走や内野ならどこでも守れるユーティリティープレイヤーとしてチームにとって貴重な役割を担っています。
本人が壁を感じ、諦めていたのに周りが才能を見出してくれてプロ野球選手になったという人は珍しいと思います。
日々WORKOUTをして普段の生活の中でも動きにキレがあったのかもしれません。
常にWORKOUTをして高いレベルで自身を維持していきましょう。
出典:巨人・増田大輝の投手起用は確信犯。原辰徳監督「いつも最初は笑われる」 – プロ野球 – Number Web – ナンバー
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