こんにちは。大関です。
今まで活躍している人物の現在にスポットをあてた記事を多く書いてきました。
しかし、現在活躍している人は下積み時代があります。
例えば今はお笑い芸人をしていても、昔は福祉の仕事をしていたなどです。
そういった著名人を7人紹介します。
見た目とは裏腹な優しい職業 サンドウィッチマン 伊達みきおさん
まずはサンドウィッチマンの伊達みきおさんを紹介します。
伊達みきおさんは1974年9月5日に宮城県仙台市泉区に生まれました。
ダイエットやボディメイクに関して、かなり前衛的な方ですね。
「0カロリー理論」には大いに笑わせていただき、記事としても取り上げました。
興味がありましたら下記リンクから読んでみてください。
そんな伊達みきおさんですが、見た目はごつく強面です。
伊達みきおさんの前職は想像がつくでしょうか?
実は伊達みきおさんは福祉用具専門相談員の資格を持っており、『福祉用具販売会社』に就職していました。
毎日老人介護施設に出入りしていたようです。
全然イメージとは違いますよね。
お笑いの道に進む際に会社の社長さんから「お笑いも人を笑わせて幸せにするし、広い意味で福祉だよ」と背中を押してもらったようです。
めちゃくちゃいい話ですよね。
ムキムキなのには理由があった レイザーラモンHGさん
続いてはお笑い芸人のレイザーラモンHGさんです。
レイザーラモンHGさんは1975年12月18日に兵庫県神戸市に生まれます。
そして同志社大学に入学し、学生プロレスに没頭していました。
ここでWORKOUTに励み、後にその肉体が芸でも活きることになります。
そして大学を卒業した後に就職したのは『生活協同組合コープ こうべ』です。
そのままコープに在籍していたら少し浮いた存在になっていたかもしれませんね。
ただお笑いの道を諦めることができず、4ヵ月で退職し吉本興業に入ったということです。
こんなイケメンが職場にいたら女子がざわつく 福山雅治さん
福山雅治さんは1969年2月6日に長崎県長崎市で生まれます。
前職は普通のサラリーマンでした。
高校を卒業後、母親を安心させるという理由から地元長崎の『電子計測器会社』に勤めていたようです。
しかしやはり夢を諦めきれず、上京してアイドルグループのバックバンドの仕事をします。
バックバンドをしていたら注目を浴びそうなイケメンですが、すぐには芽が出なかったようです。
19歳の時に映画のオーディションを受けてデビューを果たしますが、その間もピザの配達員や運送会社、材木店などでアルバイトに励んでいたようです。
ちなみに映画のオーディションでは「材木運び」の特技を披露して合格しているので、アルバイトの経験も活かして自身の道を開いたわけですね。
俳優に30歳まで興味がなく周りに才能を見出された 阿部サダヲさん
出典:阿部サダヲ – 大人計画 OFFICIAL WEBSITE
阿部サダヲさんは個性派俳優として人気があります。
1970年4月23日に千葉県松戸市で生まれました。
阿部サダヲさんは将来をきちんと描いたり夢があったタイプではないようです。
高校卒業後は地元のパチンコ店に就職しようとします。
しかし担任の先生に止められ、諦めます。
そして秋葉原の家電量販店でファックスを売る販売員をします。
秋葉原に行けば阿部サダヲさんに会えたわけですね。
元祖会える芸能人だったわけです。
ただ、阿部サダヲさんは販売員の仕事が嫌で仕方なく、1年半で退社してしまいます。
職場が嫌だったのは態度に表れていたようで、上司から「辞表の書き方」という本を渡され、辞表を書いて辞めたようです。
その後はコンビニ、居酒屋、コンサートの警備員、トラック運転手などのアルバイトを経験。
その間も周りから「30歳になったらいい役者になるよ」と言われ続けており、「1度くらいやってみようかな」と思って大人計画のオーディションを受けました。
そして現在のような大人気な俳優さんになったというわけです。
阿部サダヲさんがまだ無名の頃から、周りの友達は阿部サダヲさんの才能を高く評価していたというのがすごいですよね。
親や兄弟が医者で職歴は全ておしゃれ おぎやはぎ 小木博明さん
出典:おぎやはぎ小木博明、初期の腎細胞がん告白 しばらくは治療に専念「まさか自分が」 | ORICON NEWS
おぎやはぎの小木博明さんは1971年8月16日に東京都板橋区に生まれます。
お笑い芸人として独特の雰囲気からセンスの良い笑いを起こす小木博明さんですが、実は実家は歯医者さんをやっています。
さらに兄2人も医者をしているというサラブレッドな家系で育ちました。
しかし小木博明さんは医師を目指さず、高校を卒業後に就職したのは『オリエンタルランド』でした。
あのディズニーでマネージャー職をやっていたようです。
そして『旅行代理店』に転職します。
旅行代理店では1年間ハワイに滞在し、VIPの旅行手配の仕事をしていたようです。
しかしバブルがはじけて会社が倒産し日本に戻りました。
再就職先を探していた小木博明さんが次に勤めたのは『タワーレコード』でした。
アメリカ本社への商品の手配などを行っていたようです。
そして高校時代の友人である矢作さんに誘われておぎやはぎを結成しました。
合コンにいったら女子の食いつきがよさそうな仕事ばかりですね。
優秀過ぎる人材 超新塾 アイクぬわらさん
アイクぬわらさんは1986年6月5日にアメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタンに生まれます。
生まれた場所がもうかっこいいですね。
現在は超新塾で活躍するアイクぬわらさんですが、実はむちゃくちゃ優秀な頭脳をしています。
9歳から趣味でITを学び、18歳の時にITやエンジニア関係を学ぶためにワシントン州の私立工科大学に通い、2年飛び級して20歳で卒業します。
そしてシアトルにあるビデオ屋さんで「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の高田純次さんの早朝バズーカのコーナーに衝撃を受け、日本の芸人を志したようです。
まずは日本に来日しますが、生活を成り立たせるためには就職する必要があります。
そこで『外資系大手証券会社のゴールドマン・サックス』でデータセンターのエンジニアとして勤めていたようです。
当時のゴールドマン・サックスは新卒社員の平均年収は600万円~1100万円あったようです。
こんなに稼いでいたら芸人をやる必要はないんじゃ…と思いますが、アイクぬわらさんは芸人になって稼ぎたかったのではなく芸人になりたかったのです。
そこで超新塾のオーディションを受けて晴れて芸人になったのでした。
個性的過ぎる銀行員として人気があった 竹内力さん
出典:竹内力、8年でダイエットに成功 『龍が如く』から別人級も「どうしようもない」 | ORICON NEWS
竹内力さんは1964年1月4日に大分県佐伯市に生まれます。
ミナミの帝王のイメージが強い竹内力さんですが、実は前職は銀行員でした。
銀行員というと細身のスーツを着て髪は横分けか七三分けで眼鏡をかけているような印象かもしれません。
そんな銀行員に竹内力さんのイメージはそぐわないと思うかもしれませんね。
しかし竹内力さんは時代が許したのか、革ジャン通勤でリーゼントヘア、接客もフランクな口調で行っていたようです。
竹内力さんのイメージに合った破天荒な銀行員時代ですね。
そして端正な顔立ちで、他の支店の女子行員がわざわざ見に来たり竹内力さんの窓口だけが行列ができていたりしたそうです。
しかし高卒だった竹内力さんは支店長になれないことを知り、勝負をかけるつもりで俳優学校に入り俳優を目指すということで銀行は辞めたそうです。
夢を叶えるために夢とは全く違う職業に力を入れることはかなりハードだと思います。
しかし、だからこそ夢を叶えたときにはそういった経験も伝説として語り継がれるのですね。
パワフルに夢に向かうためにもWORKOUTをしていきましょう。