日本と中国の共通する最期を遂げる武将 弁慶と典韋

ワクセル嶋村吉洋も本で読む歴史

こんにちは。大関です。

歴史に「もしも…」はないとはよく言われます。

ただ歴史の登場人物が生きている間に、もしも違った選択をした場合にどのように歴史に影響を与えたかを後世の人が語り合う時には使います。

『ドリフターズ』という漫画があります。

この漫画は歴史上の人物が亡くなった後に、もしも一同に会して天下取りをしたらどうなるか?という内容が描かれています。

この歴史上の人物は時代や国を隔てて集まるので織田信長や那須与一、ハンニバル・バルカなどが同時に登場します。

国が違ったら当たり前ですが、同じ国でも時代が違えば言葉も違ってくると思います。

ただそこは漫画なのでスムーズにコミュニケーションをとって物語は進みます。

そして日本の戦国時代の武将の島津豊久を首領にして異世界の天下統一を目指すストーリーです。

この漫画の登場人物の中に源義経がいます。

そして義経の右腕として活躍した人物に「武蔵坊弁慶(むさしぼうげんけい)」がいます。

彼は怪力無双で様々な武器を扱い、最期は源義経を守るために自ら体を盾にして無数の矢を浴びて立ったまま絶命しています。

そしてもう一人同じ最期を迎えた中国の紀元前の武将に「典韋(てんい)」という人物がいます。

この共通点を持つ二人が漫画『ドリフターズ』の中でもし対談したらどんなことを話すんだろうと想像してしまいます。

もちろん二人とも後世に話が伝承される中で話が大きくなっているということもあると思います。

また史実では「そんなことない」ということも物語になった時にキャラ付けされるということもあると思います。

今回は二人とも同じ最期を迎えたという前提で、この二人の武将をご紹介します。

武蔵坊弁慶の経歴

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出典:Wikipedia 武蔵坊弁慶のページ


武蔵坊弁慶は平安時代に紀伊国で生まれました。

京都で僧侶になるための修行をしていましたが、この頃の弁慶は酒ばかり飲み乱暴狼藉を働く不良でした。

そして寺を破門されてしまいます。

腕力に自信があった弁慶は自身の腕っぷしを確かめるために京都の五条大橋で武士に戦いを挑み、勝っては相手の武器を取り上げていました。

そんな時に牛若丸こと源義経に戦いを挑みます。

小柄な義経は弁慶を翻弄し、弁慶は義経に負けたことで義経を敬服しました。

以降は義経に近侍し、義経の右腕として働きます。

敗北を知りたかったのかもしれませんね。

弁慶を擁する義経軍は無類の強さを誇り、当時敵対していた平家との戦いで活躍します。

しかし、その活躍によって義経には力も人気も集まり兄の源頼朝に疎まれてしまいます。

義経は頼朝に兵を向けるわけではなく逃走することを選びました。

しかし関所は閉まっていて普通に通ったら見つかってしまいます。

そこで山に登って修行をする僧の山伏に変装し関所を通ろうとします。

ただ、関所の兵士は疑り深く「山伏である証拠を見せろ」と言います。

そこで勧進帳(布教活動で使う巻物)を読み上げます。

この時弁慶はただの白紙の巻物に、さも言葉が書いてあるかのように朗々と読み上げたということです。

元々僧侶の修行をしていた弁慶だからこそできたということですね。

しかし、それでもまだ疑う兵士がいました。

源義経の顔を知っている兵士がおり、山伏の一人が「義経に似ている」と言い出したのです。

ここで弁慶は機転を利かせ「お前が義経に似ているから疑われたのだ」と言って義経を思い切り殴りました。

それを見て関所の兵士は義経の一行ではないと信じます。

かなりおもしろい話ですが、一応この部分は後世の創作ということです。

しかし逃避行中はかなり苦労があったと思います。

やっとの思いで義経一行は奥州に着きました。

奥州には昔からの仲の藤原氏がいます。

そこで匿ってもらおうと思いましたが、藤原氏も頼朝に疑われたくない想いから義経を裏切ることにしました。

藤原氏の兵は500人、義経一行は18人です。

この兵力差でもなんとか主君を守ろうと奮迅したのが弁慶です。

彼は多くの敵兵をなぎ倒しましたが、弓兵に遠くから一斉に射撃され、全身に矢を浴びて亡くなっています。

その時、弁慶は立ったまま亡くなっておりそれが「弁慶の立ち往生」という言葉で後世に残っています。

義経は藤原氏の追撃を逃れて中国に渡ってチンギスハンになったというロマンあふれる説もありますが、藤原氏の追撃から逃れられずに亡くなっています。

典韋の経歴

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出典:Wikipedia 典韋のページ


典韋のことを知らない人も多いと思います。

彼は中国の三国志の時代に、後に魏を建国する曹操(そうそう)の部下として短い期間でしたが活躍した人物です。

最初は張邈(ちょうばく)という人物の配下として歴史に登場しました。

典韋はとにかく腕っぷしが強く怪力で義理堅い人物です。

その腕力に関する逸話としては、誰も持ち上げられなかった牙門旗という大きな旗を片手で持ち上げたというものがあります。

プロレスラーのような腕の太さを想像してしまいますね。

プロテインがない時代にそれだけの筋量を維持するのはとてもすごいことだと思います。

そして曹操の家臣の夏候惇(かこうとん)という人物の家臣となり戦功を挙げて曹操に近侍するようになりました。

忠誠心が強い典韋は身近なボディーガードには適任です。

典韋は双戟という両刃の槍や長刀、斧など多数の武器を使いこなしていたようです。

こういった器用さは弁慶にも通じますね。

ある時、曹操は荊州の張繡(ちょうしゅう)を攻めて降伏させました。

しかし曹操は無礼な振る舞いをしてしまい、張繡は激怒します。

そこで張繡は曹操を油断させて復讐しようとし、夜討ちをかけます。

夜討ちに素早く気づいた典韋は曹操の居所に繋がる門の一つを死守します。

典韋が守った門は破られることはありませんでしたがあまりにも敵兵が多く、勝つことはできませんでした。

そして弁慶と同じく、弓兵に取り巻かれ多くの矢を浴びてハリネズミのようになって亡くなったということです。

典韋は主君である曹操を逃がすことに成功しました。

曹操は張繡との戦いで典韋の他に子や甥も亡くしています。

しかし親族よりも典韋が亡くなった方を曹操は悲しんだと言います。

曹操は後に三国志の中で一番の強国の魏を建国し、魏の王になり、死後には魏の武帝となりました。

同じように主君の窮地に立ちふさがっても弁慶と典韋では結果は大きく変わっています。

この辺りも歴史の面白さですね。

弁慶の立ち往生は可能か?

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全身に矢を浴びて亡くなったとしても、亡くなったら全身の力が抜けて倒れそうです。

しかしこれは科学的には可能であるようです。

それは「強硬性硬直」という現象です。

普通は死後1時間は筋肉は弛緩しています。

ただ過度の運動のあとや極度の興奮状態の時に亡くなると筋肉が弛緩する時間もなく硬直を始めるということです。

なので弁慶の立ち往生や典韋のように立ったまま亡くなるということはあり得ます。

ただ絶妙なバランスは維持していないといけないので現実的ではありませんが、主君を守るために最期まで立ちふさがるというのはロマンがありますね。

弁慶や典韋だけでなく、漫画の中でも表現として立ったまま亡くなるというシーンは多くあります。

例えば『ワンピース』の白ひげ、そして僕は読んだことはないですが『北斗の拳』のラオウも劇的な最期として描かれています。

WORKOUTをしている強キャラの最期に相応しい演出と言えますね。

そして人体や筋肉にはまだまだ不思議なことがたくさんあるなと思います。

これからもWORKOUTをして体を鍛えていきましょう。

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