
出典:Wikipedia 旧岩崎邸庭園のページ
まず最初にご紹介するのは東京都台東区池之端にある『旧岩崎邸庭園(きゅういわさきていていえん)』です。
この施設は『岩崎弥太郎(いわさきやたろう)』の長男のために建てられた施設です。
岩崎弥太郎は言わずと知れた三菱財閥の祖となった人物で、現代にも多大な影響を与えている大商人です。
江戸時代から明治の激動の時代を生き抜き、50歳でその生涯を終えています。
現代だと50歳で亡くなるのは早すぎると感じます。
しかし旧岩崎邸庭園を周りながら「50歳で亡くなる短い時間の中でこの施設を子供に残せるのか?」と考えると感慨深いと思います。
そんな旧岩崎邸庭園には洋館と和館、そして当時のビリヤード場があります。
旧岩崎邸庭園が建てられたのは1896年です。
岩崎弥太郎が亡くなってから建てられているので、このビリヤード場に岩崎弥太郎自身が立ち入ったことはないはずです。
しかし当時からビリヤードが日本にあったことが驚きですね。
興味がある方はぜひ行ってみてください。
日本で最古の大名庭園小石川後楽園

出典:公益財団法人東京都公園協会 小石川後楽園のページ
続いて東京都文京区後楽にある『小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)』をご紹介します。
この施設は1629年に『徳川頼房(とくがわよりふさ)』によって造られました。
徳川頼房は初代水戸藩主です。
水戸藩というと、とても有名な人物がいます。
水戸黄門こと、水戸藩2代目藩主『徳川光圀(とくがわみつくに)』です。
圀という漢字を「くに」と読めるようになったのはこの人のおかげです。
その徳川光圀が徳川頼房が造った未完成の小石川後楽園に手を加え、完成させたと言われています。
庭園内は池が多く、風が吹けば揺らめく木々と波打つ水面が目を楽しませてくれます。
池が多いので橋も多く、中でも円月橋という半円形の橋は趣があります。
そしてこの庭園の名前でもあり、後にこの辺りの地名となった後楽園という名称も徳川光圀が決めたようです。
宋(中国)の書物『岳陽楼記(がくようろうき)』の中の一文「先天下之優而優 後天下之楽而楽」にちなんで名づけられました。
これは「(士は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という意味です。
世の中の問題点を先に見つけて悩み解決し、人々を先に楽しませて自分は仕事をし自分の楽しみは後回しにするという姿勢ですね。
徳川光圀はこの考え方を為政者として大事にしたようです。
興味がある方はぜひ行ってみてください。
ゴールデンウィークはウォーキングをし、WORKOUTを継続していきましょう。


こんにちは。大関です。
以前5/4のみどりの日に無料開放する、普段は有料の施設をご紹介しました。
こういった施設はなぜか東京都内に集中しています。
ゴールデンウィークで人が地方に移動して都内は人が少なくなるので無料開放しても全然混まないことを見越しているのかもしれません。
元々みどりの日は自然に親しむために制定された祝日なので、以前の記事ではランニングコースがある施設や動物と触れ合える施設をご紹介しました。
今回は奥深い歴史を感じることができる施設をご紹介します。
岩崎弥太郎の息づかいを感じられる旧岩崎邸庭園

出典:Wikipedia 旧岩崎邸庭園のページ
まず最初にご紹介するのは東京都台東区池之端にある『旧岩崎邸庭園(きゅういわさきていていえん)』です。
この施設は『岩崎弥太郎(いわさきやたろう)』の長男のために建てられた施設です。
岩崎弥太郎は言わずと知れた三菱財閥の祖となった人物で、現代にも多大な影響を与えている大商人です。
江戸時代から明治の激動の時代を生き抜き、50歳でその生涯を終えています。
現代だと50歳で亡くなるのは早すぎると感じます。
しかし旧岩崎邸庭園を周りながら「50歳で亡くなる短い時間の中でこの施設を子供に残せるのか?」と考えると感慨深いと思います。
そんな旧岩崎邸庭園には洋館と和館、そして当時のビリヤード場があります。
旧岩崎邸庭園が建てられたのは1896年です。
岩崎弥太郎が亡くなってから建てられているので、このビリヤード場に岩崎弥太郎自身が立ち入ったことはないはずです。
しかし当時からビリヤードが日本にあったことが驚きですね。
興味がある方はぜひ行ってみてください。
日本で最古の大名庭園小石川後楽園

出典:公益財団法人東京都公園協会 小石川後楽園のページ
続いて東京都文京区後楽にある『小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)』をご紹介します。
この施設は1629年に『徳川頼房(とくがわよりふさ)』によって造られました。
徳川頼房は初代水戸藩主です。
水戸藩というと、とても有名な人物がいます。
水戸黄門こと、水戸藩2代目藩主『徳川光圀(とくがわみつくに)』です。
圀という漢字を「くに」と読めるようになったのはこの人のおかげです。
その徳川光圀が徳川頼房が造った未完成の小石川後楽園に手を加え、完成させたと言われています。
庭園内は池が多く、風が吹けば揺らめく木々と波打つ水面が目を楽しませてくれます。
池が多いので橋も多く、中でも円月橋という半円形の橋は趣があります。
そしてこの庭園の名前でもあり、後にこの辺りの地名となった後楽園という名称も徳川光圀が決めたようです。
宋(中国)の書物『岳陽楼記(がくようろうき)』の中の一文「先天下之優而優 後天下之楽而楽」にちなんで名づけられました。
これは「(士は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という意味です。
世の中の問題点を先に見つけて悩み解決し、人々を先に楽しませて自分は仕事をし自分の楽しみは後回しにするという姿勢ですね。
徳川光圀はこの考え方を為政者として大事にしたようです。
興味がある方はぜひ行ってみてください。
ゴールデンウィークはウォーキングをし、WORKOUTを継続していきましょう。
