日本の侍の鎧の進歩がすさまじかった

嶋村吉洋さん主催ワクセルのコラボレーターも驚く鎧の歴史

こんにちは。大関です。

今回は歴史について書いていきます。

WORKOUTをしている男性は歴史上の侍や騎士に憧れがあると思います。

今回は侍の鎧についてご紹介します。

西洋では盾が発達したが日本では鎧が発達する

 

西洋では鎧の技術よりも盾の技術が発達しました。

漫画の創作物などでも西洋の兵隊は左手に盾を持ち、右手に剣や槍を持っている姿が頭に浮かびます。

西洋では古くは全身を覆うような重厚なスクトゥムという盾が主流で、この盾を並べて槍を構え、長大な壁を作るような戦法をとっていました。

しかしこの盾は重すぎて機動力が高くなかったので、軽量化したカイトシールドやさらに小型になったヒーターシールドが開発されます。

しかし14世紀頃になると鎧の技術が発達し、徐々に盾の実用性が失われていきました。

しかし盾に自身の紋章を刻むことで戦場で自身が健在だとアピールできる存在として残ります。

このことから西洋では盾は防具を超えて騎士の誇りの象徴となっています。

ヨーロッパの国の国旗やサッカークラブのエンブレムでも盾をモチーフしたものが多いのも納得ですね。

しかし実用性が減ったとはいえ、西洋の鎧は突きや打撃に弱いという弱点があり、攻撃を受け流すために盾を使用していました。

こうして西洋では盾を重宝していた時には、日本では鎧が進化し盾は不要となっていました。

 

日本の武士が着ていた鎧は軽量で動きやすく斬撃、突き、打撃にも耐性がある


日本での鎧の進歩は馬を知ったことからはじまります。

当時、同盟国だった百済の戦いに救援として向かった武士たちは馬を使った騎馬戦を初めて見ました。

騎馬戦の有効性を感じた当時の武士たちは日本に馬を取り寄せますが、去勢をする技術が伝わらなかったために気性の荒い馬ばかり飼っていました。

そして武士道として「気性の荒い馬を乗りこなしてこそ一人前」という考え方から馬の気性の改善はされませんでした。

つまり落馬が多発します。

落馬の衝撃から身を守るために日本の鎧の進歩は始まりました。

小札(こざね)と呼ばれる鉄や皮で作られた小さな板を紐で編むことで軽量ながら斬られることも突きも通さなくなり、かつ動きやすさを実現しました。

また肩には大袖(おおそで)と呼ばれるパーツをつけ、これが盾の代わりになります。

大袖も軽量でありながら腕をひねるだけで様々な攻撃を受け流すことができます。

西洋の鎧は動きやすさのためにどうしても柔らかい金属を使う必要があり、その分突きや打撃に弱くなって盾が必要となりました。

しかし日本は鎧を世界トップクラスにしたことで暴れ馬を制御しながら槍や薙刀を振るい、弓矢を射るという独自の進化を遂げたということですね。

ロデオマシーンのようなダイエット器具が以前流行ったことがありましたが、もしかしたら暴れ馬を乗りこなす祖先の血が騒いで流行ったのかもしれません。

ということで侍を見習ってこれからもWORKOUTを継続していきましょう。