引用先:http://japanese.china.org.cn/life/2015-10/23/content_36872266_33.htm
こんにちは。大関です。
今回は大関が「凄い!」と感じた生きざまの、タイ人女性、「カンヤ・セッサー」さんを紹介します。
もちろんこのブログを運営し、様々な人とコラボレートすることを通して、社会貢献や若者に学びを与えている嶋村吉洋さんも大関は凄い!と感じている方の1人です。
そして今回紹介する「カンヤ・セッサー」さんと嶋村吉洋さんはサーフィンという共通点があります。
なので大関としてはぜひ、海の上でサーフボードを並べ、二人のトークセッションを見てみたいな、と空想してしまいます。
「カンヤ・セッサー」さんはどんな方かと言うと、モデルとアスリートで活躍している方です。
しかし、生まれつき足が無かったというハンデを負って生まれます。
どういった生い立ちなのか見ていきましょう。
生まれてすぐにタイの仏教寺の階段に捨てられる
「カンヤ・セッサー」さんは両脚を持たず、右手の指も3本のみ、という姿で生まれてきました。
病名は「先天性四肢欠損症」と言います。
この病の原因は未だ不明となっていて、遺伝なのか外的要因なのかわかっていません。
日本では「五体不満足」の著者である乙武洋匡さんが同じ病ということで認知されています。
「カンヤ・セッサー」さんの体をみた両親は、経済的に育てられないと感じたのか、どういった理由かはわかりませんが、タイの仏教寺の階段に彼女を捨ててしまいました。
しばらく孤児として仏教寺で育った「カンヤ・セッサー」さんでしたが、ここで転機が訪れます。
アメリカ人夫婦の養子になる
仏教寺で過ごす「カンヤ・セッサー」さんを、養子として迎えたいというアメリカ人の夫婦からの申し出がありました。
この申し出から彼女の人生は開けていきます。
夫婦は父親が科学者、母親が障害を持つ子に数学と英語を教える教師でした。
「カンヤ・セッサー」さんは新しい両親に従って、オレゴン州・ポートランドに引っ越し、愛情いっぱいに育てられます。
そこで彼女の才能の1つが開花します。
彼女は運動神経が抜群でした。
足が無い彼女は普段から両手で歩き、腕の力には自信がありました。
そこで車椅子のトラック競技に参加。
なんとメダルをとる活躍をします。
他にもスケートボードやサーフィンを嗜む、かなりアクティブな女の子に成長します。
海やプールでは腕の力と腹筋を使って、自由に泳ぐことができるみたいですね。
嶋村吉洋さんもですが、サーフィンを趣味とする人はアグレッシブで自分の可能性に限界を設けずチャレンジする人が多いと感じるのは大関だけでしょうか。
そして、ある日もう1つの才能が開花します。
全くの未経験の分野に挑戦する
きっかけは地元のスポーツブランド店に声をかけられたということです。
このスポーツブランド店に「スポーツフェアのモデルになって欲しい」と依頼をされまました。
モデル経験の無い彼女は悩みましたが、「似たような障害を持つ人に勇気を与えたい」と感じモデルにチャレンジしていきました。
すると徐々に、ナイキ、ビラボンなど大手ブランドからも声をかけてもらえるようになりました。
そして、モデルが軌道に乗ったことから親元を離れ、ロサンゼルスで洋服、水着、下着など、様々なモデルをこなしました。
下着のモデルをこなした際には
「仕事は楽しいし、私の話を聞いてもらえる良い機会だと思っている。足が無くたってセクシーになれるのよ。」
「どんな女性でもセクシーなランジェリーを身に着けて自分のリアルな体形に自信を持って欲しい」
と語っています。
めちゃくちゃかっこいいですね。
このチャレンジする姿は海を越えて、2016年に日本テレビの「世界仰天ニュース」で取り上げられたので、日本でも知っている方はいるかもしれません。
その中で彼女は、マンションで友人とシェアして暮らしており、自立した生活をしていることが放送されました。
買い物・食事の準備・トイレ、シャワーも全て1人で行います。
家の中でできることは、決してルームメイトには頼らないようで、こういった方だと自然と周りは手伝いたくなり、大きな成功を得たんだなと納得できます。
そして家の外では、買い物の時以外は主にスケートボードで移動をしているようです。
仕事の無い日はタクシーでベニスビーチにあるスケートパークに通って、技を披露しているようです。
めちゃくちゃかっこいいし、おしゃれな休日ですね。
元々ロサンゼルスにはスケートボード好きが集まるスケートパークが多数あり、技を競い合っているようですが、そこに通うことで、より前向きになれたと言います。
様々な挑戦をして、たくさんの人に見てもらうことが「カンヤ・セッサー」さんの喜びのようです。
そんな彼女のモットーは「No legs,No limits(足は無いけど限界もない)」とのこと。
彼女にしか言えないけど、大きな勇気をもらえる言葉ですね。
引用先:https://izuru5222.net/kannyaseltusar-sekaigyoutennnyuusu-keirekiwiki-kareshi-5486
世界に挑む、新しい挑戦
モデルとしての成功を掴んだ「カンヤ・セッサー」さんですが、2018年に韓国で開催された平昌冬季パラリンピックに向けて、アスリートとして参加するためにトレーニングもしていたようです。
その時は、モノスキーという競技で出場を狙っていたようです。
残念ながら、メダルは獲得はしていないようですが、毎日ジムで筋トレし、鍛え上げていたということで本当に凄いなと思います。
嶋村吉洋さんのトークセッションで最近アップされた動画
パラリンピックと言えば、このブログの運営者である嶋村吉洋さんが主催する「ワクセル」で2021年7月23日に、トークセッションの動画が上がっています。
その内容は車椅子レーサーであり、シドニーパラリンピックで銀メダル、アテネパラリンピックで銅メダル獲得した「廣道純」さんの動画です。
「廣道純」さんは生まれつきは健康体でしたが、バイク事故で下半身が麻痺をし、車椅子レーサーとして努力した方です。
この動画で「廣道純」さんはかなり力強く、可能性を信じたら絶対変われるということを伝えており、「今まで何も続かなかった自分が下半身が麻痺したことによって、好きなことに出会って車椅子レースを32年続け、47歳の今も現役」というメッセージを伝えていました。
「カンヤ・セッサー」さんもハンデを背負いながらも可能性を信じて変化しつづけた方と感じます。
もし自分が同じ立場になった時に、同じような生き様ができるか自信がありませんが、彼女達の言葉から勇気をもらっていこうと思います。
最後に、「カンヤ・セッサー」さんがモデルになった時に発言した、なぜモデルをするのかを聞かれた時に答えたインタビューを紹介します。
「だってこれが私自身だから。『美しさ』にも色々あるんだって多くの人に知ってもらいたいの」
「人が予想もしない方法で自分を表現するのが好きなの。それが私!」
引用先:https://yuhiya1627.com/sessa-model-3135/3