『サイレントK』と呼ばれたプロ野球、石井裕也投手の感動のスピーチ

ワクセル 嶋村吉洋も映画に出演してほしい石井裕也さんが試合中は切っていた補聴器

こんにちは。大関です。

プロ野球選手を目指してWORKOUTを行っている人は多いと思います。

しかし生まれたときに先天性のハンデがわかったらプロを目指そうと思うでしょうか。

プロの世界は五体満足だったとしても厳しい世界です。

そんなプロの世界に先天性難聴を抱えながらも飛び込み、活躍した石井裕也さんをご紹介します。

健常者として扱ってくれて、周りの子と同じように育ててくれてありがとう


石井裕也さんは1981年7月4日に神奈川県横浜市で生まれました。

先天性の難聴を抱え、左耳は完全に聞こえません。

右耳も補聴器をつけたらかすかに聞こえるという程度だったようです。

小学校の頃から兄の影響で野球を始め、高校は横浜商工高校で活躍。

このころから『サイレントK』と呼ばれます。

『K』とは投手が三振を奪うことを言います。

石井裕也さんはマウンド上では補聴器を切り、完全な無音の中で投球をしていたといいます。

野球場は大歓声が上がる場所ですが、完全な静寂の中で打者に集中して三振を奪う姿から『サイレントK』と呼ばれました。

そして社会人野球に進みます。

社会人野球では三菱重工横浜に正社員で入社します。

ご存じのとおり、三菱重工は大企業であり安定しています。

そのためプロの誘いを受けた時、両親は反対していました。

しかし自身が昔から憧れていた道を歩くため、ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団することを決めました。

プロ初登板では広島カープの前田智徳さんと対戦し、初球をホームランにされてしまいます。

劇的ですね。

しかしその後の対戦では三振も奪い、プロとして活躍していくことに徐々に自信をつけていきました。

中継ぎとして活躍していく中で自身が打たれてサヨナラ負けをしてしまったことがありました。

その時は先輩であり、日本を代表する名キャッチャーである谷繫元信さんが石井裕也さんを本気で怒り、怒鳴りつけたようです。

しかし、今までハンディキャップがあるということで気を使われていた石井裕也さんは違和感を感じていました。

谷繫元信さんに本気で怒られ、「何を言っているかは正直わからなかったけど、健常者として接してくれて嬉しかった」という言葉を残しています。

その後は横浜ベイスターズにトレードされて中継ぎや抑えとして活躍。

そして日本ハムファイターズに移籍します。

日本ハムでも左利きの貴重な中継ぎとして活躍しました。

日本ハムに9年在籍しましたが2018年9月22日に引退表明し、9月30日に引退試合が行われます。

最後は西武ライオンズで高校の後輩でもある秋山翔吾選手をレフトフライに打ち取るという有終の美を飾りました。

引退セレモニーでは

「難聴というハンデを持って生まれてきた僕を周りの子と同じように育ててくれて、たくさんの愛情をそそいでくれて、一番のファンでいてくれたお母さん、ありがとう」

という感動的なスピーチをしています。

ハンディキャップが大きいほど、周りに与える感動も夢も大きくなると思います。

プロ入りするだけでも感動的なのに、長く1軍で活躍するには相当努力をしたと思います。

石井裕也さんに負けないようにWORKOUTをしていきましょう。

ワクセル 嶋村吉洋も映画に出演してほしい石井裕也さん

出典:Wikipedia 石井裕也さんのページ