こんにちは。大関です。
漫画やアニメのバトル物の金字塔と言えば『ドラゴンボール』だと思います。
後に生まれた漫画やアニメで『ドラゴンボール』に影響を受けた作品は多いと思います。
亀仙人やカリン様といった悟空の潜在能力を引き上げるお師匠さん達がおり、どんな強大な敵が現れても、その都度悟空は成長して敵を倒します。
そして戦闘力という目に見えない強さを数字にすることで物語が一気にわかりやすくなり、強敵と出会った時の絶望感がよりリアルに視聴者にも伝わるようになりました。
そのためにいかにして悟空達が状況を打開するのかドキドキしながら見ていた人も多いと思います。
この戦闘力という概念のために弊害も起きました。
それはインフレが一気に進んだということです。
例えば悟空の戦闘力が初めて計測された時は334。
そしてスーパーサイヤ人になった時は「ドラゴンボール大全集」によると1億5000万になっています。
これによって過去のキャラ達は完全に置いてけぼりになります。
話はそれますが、『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンドはスタンド同士で相性もあり、操作する本体が有能かも影響し、単純なインフレが起こりづらいバトル物となっています。
そんな漫画が2つも同時期に連載をしていたなんて、当時の集英社は底が見えないすごさを持っていましたね。
話を戻しますが、これほどのインフレが起きたのは「サイヤ人は死の淵から復活した時には大きく戦闘力が上昇する」という設定があったことも原因の1つです。
WORKOUTをしている人はドラゴンボールに憧れた人も多いと思います。
しかしこの設定の通りにはトレーニングは出来ないので重りを手首や足首につけていた方も多かったでしょう。
もちろんこの設定のおかげで強敵に対抗する糸口を掴めるので、物語をおもしろくする要素です。
今回はサイヤ人のように死の淵から何度も復活した数奇な運命を辿った人物をご紹介します。
7回のピンチを乗り越えたフラン・セラックさん
『フラン・セラック』さんは1929年にクロアチアに生まれました。
フラン・セラックさんはごく平凡に生活し、音楽教師をしていました。
そんなある日、運命の歯車は動き出します。
1962年、フラン・セラックさんは電車に乗っていました。
この電車が脱線してしまいます。
脱線した電車は凍った川に転落してしまいました。
この事故で乗客のうち17人が犠牲になりました。
フラン・セラックさんは低体温症になり骨折もしましたが、なんとか泳いで岸に辿り着き一命をとりとめました。
翌年、母親が病気になったという連絡を受けます。
フラン・セラックさんは母親の元に駆けつけようとします。
そして小型飛行機に乗り込みました。
この小型飛行機がエンジントラブルを起こして墜落し、フラン・セラックさん以外の19人の乗客は犠牲になっています。
しかし、フラン・セラックさんは墜落直前に偶然外れたドアから放り出され、干し草の上に落ちて軽傷を負っただけで助かりました。
さらに1966年。
路面凍結した道を走っていたバスにフラン・セラックさんは乗っており、そのバスがスリップして谷に落ちてしまいました。
この事故では4人の犠牲者がいましたがフラン・セラックさんは切り傷とアザだけで一命をとりとめました。
続いて1970年。
フラン・セラックさんは公共交通機関に不信感を抱いており、自家用車で移動していました。
しかし運転中に車が火を噴き、フラン・セラックさんがあわてて脱出した直後に爆発しました。
もうこれは映画のワンシーンのようですね。
そして1973年。
この時も乗っていた自家用車が火を噴きます。
この時は通気口を通って火が運転席まで到達します。
映画でも2作目は1作目よりもパワーアップします。
火の噴き方もパワーアップしてますね。
この時もフラン・セラックさんは無事脱出しています。
1995年。
この年はバスにひかれます。
さらに1996年。
対向車のトラックの不注意でフラン・セラックさんが運転する車がスリップし、ガードレールを破って崖下に転落しました。
この時のフラン・セラックさんは転落中の車の窓から脱出し、谷の途中に生えた木にしがみついて転落を回避しています。
そして落下した車は谷底で爆発しました。
スタントマンになれるレベルですね。
これでピンチを乗り越えた回数が7回です。
これだけのピンチがおとずれてもその都度助かるのは、フラン・セラックさんの強運も関係していると思います。
しかし最後の脱出はあきらかに経験を積んで脱出慣れをしています。
そして死の淵から復活したことでレベルがあがっています。
まさにサイヤ人ですね。
そして2003年。
この年はフラン・セラックさんがピンチに陥った年ではありません。
72歳になったフラン・セラックさんは40年ぶりに宝くじを購入しました。
この宝くじが当たり、フラン・セラックさんは100万ドル近くの賞金を手にしました。
7回のピンチを乗り越えた末にこんなご褒美がある人生も素敵だなと思います。
沈没船の女王と言われたバイオレット・ジェソップさん
『バイオレット・ジェソップ』さんは1887年にアルゼンチンで生まれた女性です。
この人もとても数奇な運命を辿った人です。
なんと大事故を起こした3隻の豪華客船に乗り合わせていながら生き延びました。
バイオレット・ジェソップさんはホワイト・スター・ライン社に就職し、その会社で客室係として働き始めました。
ホワイト・スター・ライン社は大型客船を所有し、海の旅を企画して生業を立てていました。
1910年。
バイオレット・ジェソップさんが23歳の時にオリンピック号という豪華客船の客室係になりました。
翌、1911年にオリンピック号はイギリス海軍の軍艦と衝突事故を起こします。
しかし当時最大の豪華客船であったオリンピック号は沈みませんでした。
犠牲者もなく沈没もすることもなく帰港しています。
そして1912年。
バイオレット・ジェソップさんは異動をし、タイタニック号の客室係として働くことになります。
もうこの船の名前は誰もが知っていると思いますし、このあとバイオレット・ジェソップさんにどういったことが降りかかるかもわかると思います。
前年のオリンピック号が軍艦と衝突しても沈没しなかったことで大型客船は沈まないという神話が出来ていたのかもしれませんね。
タイタニック号は出航して4日後に氷山に衝突して沈没します。
この時バイオレット・ジェソップさんは救命ボートに乗りカルパチア号という客船に救出されます。
そして1916年。
タイタニック号の姉妹船であったブリタニック号にバイオレット・ジェソップさんは乗船していました。
第一次世界大戦の当時、ブリタニック号は豪華客船ではなく病院船として運航していました。
バイオレット・ジェソップさんはまた客室係をしています。
ブリタニック号はドイツ軍の機雷に接触して沈没してしまいました。
バイオレット・ジェソップさんは救命ボートに乗れましたが、その救命ボートはブリタニック号のスクリューに巻き込まれて切り刻まれてしまいました。
そのまま救命ボートに乗っていたらスクリューによって無事ではいられませんでしたが、間一髪海に飛び込んでボートの下に避難し頭蓋骨を骨折しましたが一命をとりとめました。
その後は頭痛に悩まされることはあっても天寿を全うしました。
オリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号は奇しくもホワイト・スター・ライン社が所有した船です。
その全てに乗船し、事故の瞬間に立ち会ったのに生き残れるのはすごいと思います。
そして最後の脱出はまさに間一髪の状況で正確な判断をしています。
バイオレット・ジェソップさんも死の淵から復活してレベルアップしており、サイヤ人です。
ということで何かあった時に少しでも幸運を掴めるようにWORKOUTを継続していきましょう。