出典:東都三ツ股の図/歌川国芳 | ukio(ウキオ) | 浮世絵のサブスクレンタルサービス
こんにちは。大関です。
読者の皆様は現在おいくつでしょうか。
おいくつだったとしても生きているうちで今が一番若いという言葉を聞いたことはあると思います。
この言葉は現在何歳だったとしてもいつからでもチャレンジをしていい、やり直していいという時に使われます。
そしてこの言葉はその通りだと思います。
ただこの言葉は未来のことが未知数であることが前提になっています。
もしもタイムトラベルをして将来の自分を見て太っていたら、今ダイエットを頑張れるでしょうか。
そもそもタイムトラベルはできるのでしょうか。
ということでタイムトラベルをしたのではないかと言われる人物をご紹介していきます。
江戸時代の浮世絵師 『歌川国芳』
出典:錦絵 東都御厩川岸之図 / 扶桑文庫 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」 / 日本の古本屋
『歌川国芳(うたがわくによし)』は江戸時代末期を代表する浮世絵師です。
歌川国芳は奇想天外な画風や迫力のある絵を描く浮世絵師です。
歴史の教科書で見た事がある人も多いと思います。
歌川国芳の絵には幕府を揶揄する風刺が入っているものも多かったようです。
そして民衆はその風刺を推理し、楽しんでいたようです。
民衆にとって歌川国芳は言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…pというストレスを発散させてくれる人気の浮世絵師になっていたようです。
しかしその分幕府に目をつけられていました。
この歌川国芳がタイムトラベラーだという説があるのです。
その理由は絵が独創的だったり生き方が破天荒だったりしたからというわけではありません。
「東都三ツ又の図」という船大工が防腐のために船腹を焼いている絵があります。
歌川国芳の時代には江戸城よりも高い建物を建てることは禁止されていましたが、絵の中にスカイツリーのような巨大な塔が描かれています。
さらに「東都御厩川岸之図」という絵では歌川国芳の没年の1861年の数字が描かれていると言われます。
この絵には数人の人物が笠をさしている場面が描かれていますが、一番右の人物の笠に「千八百六十一番」と描かれています。
この数字は西暦で、当時の日本は和暦を使用していました。
さらに鎖国中なので西暦に触れる機会はありません。
以上のことから歌川国芳はタイムトラベルをしていたのではと言われるわけですね。
小説の中の人物のような『ルドルフ・フェンツ』
続いては1950年のアメリカのタイムズスクエアに現れた『ルドルフ・フェンツ』です。
ルドルフ・フェンツはシルクハットにコートと貴族が社交界のパーティーに行くような姿でタイムズスクエアを歩いていました。
そのいでたちは当時からしても古めかしく、浮いていましたが日本の繁華街でもたまにちょんまげに着物の個性的な人がいます。
ルドルフ・フェンツは繁華街にいる少し個性的な人としてタイムズスクエアで受け入れられていました。
しかし突如としてルドルフ・フェンツは発狂して道路に飛び出し、タクシーに轢かれて亡くなってしまいました。
そこで身元を特定するためにルドルフ・フェンツが身に着けていたものを鑑定するのですが驚きの結果がわかります。
まず来ていた服は新品だったのに1世紀以上前の製法で作られていることがわかりました。
ポケットには紙幣が入っていましたが古い時代のものでした。
しかし経年劣化などはしておらず現行の紙幣のようでした。
またルドルフ・フェンツという名前は名刺を持っていたことで判明します。
そしてルドルフ・フェンツ宛ての手紙も持っており、その消印が1876年だったということです。
手紙には不審な部分がありましたが、警察はルドルフ・フェンツの家族を探します。
そしてルドルフ・フェンツの息子の妻を探し出します。
その女性にとってルドルフ・フェンツは義理の父ですね。
その女性によると1876年にルドルフ・フェンツは「タバコを吸いに行く」と言ってそのまま行方不明になったということです。
つまり1876年から1950年にタイムトラベルをしたということですが、実はこの話はフィクションです。
SF作家が作った設定だったものが、実際にあった事件のように人口に膾炙したものでした。
よく考えたら「ちょっとタバコを吸いに行く」と言って、名刺や手紙を持っていく意味はありません。
しかしかなりリアリティがあったと思います。
ありえない地図を作った『ピーリー・レイース』
最近ではスマホに地図アプリが入っていることが当たり前なので、地図を読めなくなった人も多いのではないでしょうか。
少なくともガラケー時代は現代のような鮮明な画面ではなかったのでガラケーは地図に適していなかったと思います。
なのでガラケーの時代には紙の地図を読める人は多かったと思います。
現代の地図はGPSで自分の位置が正確にわかります。
しかし衛星もGPSも存在していない時代には、どうやって自分の位置を正確に把握していたのでしょうか。
日本では歴史の教科書に登場する『伊能忠敬(いのうただたか)』が正確な日本地図を作りますがそれは1800年代のことです。
ピーリー・レイースはなんと16世紀に地図を作りました。
ピーリー・レイースはダーダネルス海峡に面したゲリボルという港町の出身で本名はアフメト・ムヒッディンと言います。
叔父がオスマン帝国の提督だった関係でオスマン帝国の海軍に入ります。
ピーリー・レイースは優秀な提督になりました。
しかし敵を深追いしなかったことが戦場の放棄ととられ、罪をかぶせられて処刑されてしまいます。
しかし様々な戦線に立ち、勝つために精巧な地図を作ることはピーリー・レイースにとって悲願になっていたと思います。
そんなピーリー・レイースが作った地図が発見されたのは1929年でした。
イスタンブールのトプカプ宮殿の博物館に収蔵された写本類の中からピーリー・レイースの地図が発見されています。
このピーリー・レイースの地図は不思議なことにアメリカ大陸がとても詳細に描かれています。
しかしピーリー・レイースが生きた時代はクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見して間もない時期です。
しかもピーリー・レイースは不思議な証言も残しています。
日本の伊能忠敬は実地調査をして日本の正確な地図を作成しました。
しかしピーリー・レイースの地図はイスカンダル王の時代から伝わる情報や地理学者のものなどを参考にしたと言います。
他にもポルトガルの航海者が作成した地図、コロンブスの新大陸地図などを参考にしたそうです。
当時は新大陸発見から20年しかたっておらず海岸線などはまだ不明でしたがピーリー・レイースの地図は詳細に書き込まれていました。
つまり参考にした地図よりも精巧な地図だったわけです。
普通、実地に赴かなかったなら参考にした地図よりも質が落ちるはずです。
さらにピーリー・レイースの地図には当時まだ未発見だったはずの南極大陸も描かれていました。
こういった不思議な事実からピーリー・レイースは未来からやってきた人物なのではないかと言われているわけです。
しかしそれなら処刑されるということも知っているはずなので、その出来事を回避できるのではないかなと思ってしまいます。
ピーリー・レイースの話はフィクションではなくて史実なのですが、もしも将来の自分がどんな命運をたどるのかがわかれば、より良く変化させるために努力をすると思います。
ということで将来太ってしまうことが今わかっていたら必死に努力をして瘦せられると思います。
今の人生で今が一番若く体も動きますので、WORKOUTを継続していきましょう。