こんにちは。大関です。
今回は知っている人は知っている、船坂弘という人物を特集していきます。
この人物は、大関はめちゃくちゃ打たれ強い人だなと思っています。
その打たれ強さは、ダイの大冒険のクロコダイン、ゴールデンカムイの不死身の杉元、鬼滅の刃の不死川実弥、るろうに剣心の相楽左之助です。
船坂弘は1920年10月30日に生まれ、2006年2月11日に世を去りました。
この人は旧日本陸軍の軍曹をしていました。
そして戦後に書かれた日本唯一の戦史の「戦史叢書」に、ただ一人、個人名が記された人物です。
船坂は20歳で入隊し、精鋭が集まった第一大隊に配属されました。
23歳の時に軍曹としてアンガウル島で戦います
その時の相手はアメリカの81歩兵師団および米軍第38機動隊でワイルドキャッツの異名を持つ精鋭部隊でした。
この時はアメリカ軍が2万2000人に対して、船坂側は1400人という戦力差です。
船坂弘の打たれ強さ伝説
この時に船坂は左足に砲撃を受け、軍医からは致命傷で助からないと判断されました。
そこで自決用の手榴弾を渡されるほどでしたが、翌日には歩けるようになります。
さらに足と両腕に怪我を負った時も暴れまわり、武器を手にしようとしていた敵に銃剣を遠投したりします。
怪我してるんですよね…?
しかし、度重なる怪我で両目が見えなくなり、傷口から蛆がわくようになってしまいました。
船坂は蛆に殺されるくらいならと、手榴弾を持ってアメリカ軍司令部に自爆特攻をかけようとします。
あと少しでアメリカ軍司令部というところで見つかってしまい、首を撃たれて倒れてしまいます。
そしてアメリカ軍の軍医に助けられます。
しかしなんと3日で回復し、目を覚ました船坂は助けてくれたアメリカの病院で暴れまわって帰還しました。
そしてその後もアンガウル島で暴れて捕虜になります。
その時に知り合ったアメリカ人でクリスチャンのクレンショーという人物に命の大切さを説かれて戦いをやめようと決めたようです。
帰国後、東京の渋谷のスクランブル交差点の場所にある「大盛堂書店」を作りました。
渋谷に行ったことがある方は必ず見たことがあると思います。
彼自身が題材になった本も出版され、映画にもなったようです。
晩年は講演会なども行っていたのでしょうね。
範馬勇次郎とのトークセッションをしてもらいたかったと、個人的には思います。
やはりWORKOUTをしていくと強い男に憧れますが、このような先人の事績を見ながら姿勢を正してボディメイクしていきましょう。