昔はやんちゃしてた 宇梶剛士さんの伝説

嶋村吉洋も尊敬する宇梶剛士さん

出典:講演会なび 宇梶剛士さんのページ https://be-power.jp/lecturer/726/

こんにちは。大関です。

宇梶剛士という俳優さんを、逃げ恥などで見たことはあると思います。

この方が元々暴走族のトップだったという話も、バラエティに出た際は話題になり、知っている方も多いですよね。

恐らく、強くないとトップにはなれないので、たくさんWORKOUTしたのでしょうか?

WORKOUTについてはわかりませんでしたが、伝説がたくさんあったので紹介していきます。

宇梶剛士さんの経歴


宇梶剛士さんは1962年に東京で生まれました。

幼いころから体が大きく、プロ野球選手に憧れる少年だったようです。

しかし、高校の野球部では先生からいじめにあって野球ができず、スラムダンクの三井初登場時のようになっていました。

そこから三井のようにスポーツに戻るということはなく、暴走族へ。

ブラックエンペラーという、関東で一番大きい暴走族の7代目名誉総長となります。

当時はかなり有名で、同世代で不良をしていた芸能人が宇梶剛士さんのことを「雲の上の存在だった」とコメントすることもあります。

とりわけ伝説的なのは、300人ほどでバイクで走っている時に、1000人ほどの対抗勢力の暴走族と鉢合わせになり、宇梶さん1人で20人を倒したところ、その気迫に圧されて1000人が逃げていったという話です。


中国の三国志や日本の戦国時代のような話ですね。

しかしこれは昭和におきた話です。

宇梶さんは2000人の組織のトップだったので、300人で行動していて今ならチャンス!と相手は思ったのかもしれませんね。

今ならグループLINEで300人が「明日一緒に走りたい」と言ったら集計が大変だなと思います。

そして、少年院に入り、そこで読んだチャップリンの本に刺激を受けて俳優を目指します。

最初にスター「にしきのあきら」さんの付き人になりました。

しばらくして俳優の「菅原文太」さんに気に入られます。

その時、菅原文太さんは「何をしている奴だ?歌手か?」と聞きました。

宇梶さんは「俳優になりたいんですけど、どうしたらいいかわからないので、にしきのさんのところでお手伝いしています」と答えます。

すると菅原文太さんは、にしきのあきらさんに電話をかけ、「おたくにでかいのいるだろ、あれをもらっていいか」と言い、電話を切りました。

そして宇梶さんに「ということでいいな」と言って、以後宇梶さんを可愛がり、俳優として大成するためのきっかけを作ってくれました。

こうして俳優として活躍していますが、野球部の先生がいい人で、野球を続けていたらどんな人生を歩んでいたのかという、別の世界線のことも考えてしまいます。

そんなことを考えながらWORKOUTをするのも楽しいかもしれません。

嶋村吉洋も尊敬する宇梶剛士さんの本

出典:宇梶剛士さんの本「不良品」のAmazonページ https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E8%89%AF%E5%93%81-%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%87%E6%A2%B6-%E5%89%9B%E5%A3%AB/dp/479733083X