こんにちは。大関です。
このブログの運営者であり、仲良くさせていただいている嶋村吉洋さんは「ワクセル」というソーシャルビジネスコミュニティを主催しています。
「ワクセル」では様々な活動を様々な人と行っており、協力しあっていますが、手を組んだ人のことをコラボレーターと呼んでいます。
コラボレーターの方には普段テレビやYouTubeなどで活躍している人物もいます。
元フジテレビアナウンサーの笠井信輔さんや、チャンネルYouTubeル登録者が30万人超えのファッションアドバイザーのMBさんは、なじみがある方も多いかもしれません。
WORKOUTという観点なら、元阪神タイガースや大リーグでも活躍し、『火の玉ストレート』と異名がつけられた藤川球児さんや、U17・U18のラグビー日本代表コーチを務めた、二ノ丸友幸さんもコラボレーターとして参加されています。
これだけでも錚々(そうそう)たる顔ぶれですよね。
「ワクセル」のサイトのコラボレーターのページを見てみると、実際にコラボレーターの方々が見れますが、現在700人ほどが掲載されています。
出典:ワクセル公式ホームページ
700人も各分野の第一線で活躍している人と手を組める、嶋村吉洋さんの懐の深さもすごいと思います。
「ワクセル」では各業界の著名な方をお呼びして、講演会をしていただくというものもあり、大関はこの講演会が大好きです。
そして講演会やインタビューの様子をYouTubeで閲覧することができ、「ワクセル」とコラボレーターの方々がどんな関わりをしているかを知ることができます。
「ワクセル」YouTubeチャンネルで一番動画が再生されたのは、サッカー元日本代表の中村憲剛さんです。
そして最近では、元阪神タイガースで選手会長を経験し、ベテランになってからは「代打の神様」としてチームを支えた桧山進次郎さんが講演会をされていました。
桧山進次郎さんへのインタビューが動画になるのも楽しみですね。
そしてこの講演会で、ぜひ話を聞いてみたいと思う人物が大関にはいます。
しかし、その方は歴史上の人物なので、もうこの世に存在しません。
大関はよくブログの中で、WORKOUTをして実用的な筋肉を得ている人々として軍人さんを紹介してきました。
軍人カルロス・ハスコックのページ
軍人ハンス・ウルデッヒ・ルーデルのページ
今回は中国の歴史上の人物で将軍であり、紀元前にコラボレーターとして大成功を収めた「楽毅(がくき)」を紹介します。
漫画【キングダム】にもちょっとだけは出てくる楽毅の生い立ち
漫画の【キングダム】はめちゃくちゃ好きな人も多いと思いますが、その中でもほんの少しだけ楽毅は触れられています。
時代的には【キングダム】の少し前に活躍した将軍です。
そして主人公達が楽毅を神格化していることを描いています。
現代で言えば、令和の時代に昭和の時代で活躍した人が伝説のように語られているような感じです。
それだけ楽毅は英雄として活躍していたということです。
そのシーンのあとに、楽毅と共に戦っていたということで強キャラ感満載で登場した、劇辛(げきしん)という将軍はワンパンでやられていましたが。
後の世にかなりの影響を与え、実際に歴史を捻じ曲げたと言って差し支えない楽毅ですが、生い立ちはよく分かっていません。
歴史の本には魏の出身であることは記載されていますが、それは疑わしく、宮城谷昌光さんという歴史小説家の方は中国に、ある期間だけ存在した中山(ちゅうざん)国出身ではないかと思い、実際、中山出身として小説を書いています。
小説の中で楽毅の出身国の中山は隣国の趙(ちょう)という国に滅ぼされます。
【キングダム】を読んでいる人は趙はなじみがある国名ですよね。
楽毅が活躍した頃の趙の王様は武霊王(ぶれいおう)といい、この時期に趙は強国にのし上がりました。
そして、武霊王の次の恵文王の時に、趙は最大版図になります。
小説の中で楽毅は、中山を滅ぼさせないために趙と戦います。
しかし、その頃の趙は武霊王が英邁(えいまい)であり、弱小の中山では太刀打ちできません。
楽毅は亡国の徒となりました。
燕の昭王という英雄
楽毅は後に燕(えん)という国で将軍として働き、大きな功績を作って歴史にその名前を残します。
燕という国も【キングダム】を読んでいる人には、「あー、そんな国あったな」という感じかもしれません。
というのも、燕は中国の北東部に位置し、中国の文化が咲き乱れた中央部からしたら辺境の田舎でした。
それゆえに中央の戦いにも参加することはまれで、中華では忘れられることもあるような土地です。
気候は寒冷で食物の育ちは悪い地域なので人口も少なく、国としては弱小でした。
燕は南に斉(せい)という国と国境を接しています。
斉も【キングダム】ででてきますね。
斉も暖かい地域とは言えず、農作物は育ちやすいとは言えませんが、東に海があり、塩の輸出や製鉄の技術があり、貿易によって豊かな国でした。
この頃の斉と秦(しん)は中国の2大強国となっており、斉の宣王(せんおう)と秦の昭襄王(しょうじょうおう)はひそかに、それぞれ王の名前を捨てて王より位が上の帝になろうとし、東帝、西帝とお互いを呼んで、中国を征服しようと話し合っていました。
それだけ斉と秦の力は中国でも抜きん出ていたのです。
そんな斉に燕は目をつけられてしまいました。
しかし、斉の宣王は表向きは学業を奨励して城下には学者を集め、議論をさせ、問題が起こっても平和的な解決を推奨しているように見せていました。
ただ、燕を征服しようとした時に、斉の宣王は汚い方法を使ってしまいます。
燕は当時、内乱が起こっていました。
当時の燕の王様が高齢になり、跡継ぎを決める必要がありましたが、臣下の子之という人物を信頼していたので、自分の子には王位は譲らず、子之に国を譲ってしまいます。
これに長男で後の昭王が激怒し、子之に対して戦争を仕掛けます。
その内乱を鎮静化させるという名目で、斉が介入してきました。
大義名分は「燕を救いたい」でしたが、実際は燕をかき回して潰そうとしていました。
令和の日本で言えば、コムドットが炎上し、それを救いたいという名目でシバターさんが生活相談員としてコムドットに加入しますと勝手に言っていますが、それを実際に行ったらかき回されちゃうというような感じです。
故郷をめちゃくちゃにされた昭王は忍耐します。
斉は燕を征服し、占領行政を行いますが、全くうまくいきません。
燕の国民としては燕となんの所縁もない斉が王様のようにふるまっているからです。
そこに【キングダム】の主役の国の秦が目をつけます。
昭王の弟である公子を見つけてきて、この公子に国をおさめさせてはどうか?と斉に交渉します。
斉としても燕の国民の反乱で自国が疲弊しては元も子もないので、斉は喜んで燕から手を引きます。
そして秦としては燕に恩を売ることができます。
それを見逃さなかった昭王は弟を斃(たお)して王様の位につきました。
そしてまず、斉との友好を結びます。
斉に反抗的な態度をしたらまた潰されることはわかっているからです。
これは昭王にとって忍耐の連続だったと思います。
「いつか斉に復讐したい」
そう思っていた昭王はある賢人に助言を求めます。
黄金台で楽毅を導く
「まず隗(かい)より始めよ」という言葉があります。
この言葉は昭王と、昭王が助言を求めた賢人「郭隗(かくかい)」が話した内容が元になった故事成語です。
昭王は自己を悲しいほど客観視できる人物でした。
自身が治める燕と斉の国力の差があまりにも大きいことをしっかり認識しています。
しかしどうしても斉に復讐したい昭王は、郭隗の意見を求めます。
そこで郭隗はこんなことを話します。
・自身には才能が乏しく斉を討つ手だてが思い浮かばないこと
・燕と斉には大きな国力の差があり、それを埋めて行くには人材がどうしても必要なこと
・昭王としてはそんな凡庸な才能しか持ち合わせない郭隗をあえて師と仰ぎ、綺麗な住宅に住まわせ優遇すればよいということ
つまり自薦をしてきました。
こんなことを言われても、郭隗が豊かになりたいがために富を要求してきたとしか思わないですよね。
しかし郭隗は「まず隗より始めよ」と言います。
隗は郭隗の名前です。
つまり凡庸な郭隗を優遇すれば、その噂が世間に流れて有識者は「郭隗のような才能のものでも優遇されたのだから自分はもっと優遇されるはずだ」と昭王のもとに才気ある人物が馳せ参じると言いました。
郭隗はコラボレーターがいかに大切な存在なのか、ということを理解していました。
そして昭王も自分よりも優秀な人と手を組んでいくという、コラボレーターの重要さを理解します。
そこからの昭王の対応は太っ腹でした。
郭隗を黄金台と呼ばれる豪華な住宅に住まわせます。
黄金台を見た旅人は、豪華絢爛な見た目の建物と郭隗という昭王の師の名前を各国に運んでいきます。
その黄金台を楽毅も見ました。
最強のコラボレーター 楽毅
楽毅は昭王に会って語り合い、昭王は楽毅の中にある大きな将器を感じ取ります。
郭隗が言う通り、才気ある人物が活躍のチャンスを求めてやってきました。
そして楽毅は亡国の徒です。
ということは、故郷の滅亡を止められなかった臣下と見られるので他国では無能扱いされ、中々活躍の場が与えられないという不遇な時期を過ごしていました。
しかし、昭王は楽毅の過去や経歴にとらわれません。
当時、臣下で1番高い役職は卿(けい)と言いましたが、その卿に亜(つ)ぐものということで亜卿(あけい)に楽毅を抜擢します。
楽毅が昭王の右腕になる
楽毅は昭王と斉を倒すための作戦を語り合いますが、その中で、燕単独では斉に勝つことは不可能であることを伝えます。
昭王としては自国のみで斉に復讐したかったと思いますが、国力的にそれは無理でした。
そこで楽毅が提案したのはやはり国と国でコラボし、斉と戦うということです。
しかし、いきなりコラボレーターの依頼しても相手にされません。
まずは内政を充実します。
国と国とのコラボと言っても、やはり人と人が繋がることと一緒で、素敵な人だから素敵な人がコラボレーターとして手を組んでもらえます。
嶋村吉洋さんが主催する「ワクセル」も様々な人がコラボレーターとして参加していますが、全て素敵な人です。
そして嶋村吉洋さんや、「ワクセル」というコミュニティが素敵であったり、約束を守ることを大切にし、信頼されているから素敵な人がたくさんコラボレーターとして参加してくれているのだと思います。
しかし、作物が育ちにくい燕で国を豊かにするというのは、かなりの努力が必要だったと思います。
しかし、楽毅は内政も充実し、戦備も整え、燕軍を鍛えました。
そして外交の手腕も発揮します。
この時期前後から【キングダム】の時代まで臣下は分業制が多くなります。
野球の投手が先発、中継ぎ、抑えと役割を与えられるように、国を動かす大臣も内政、軍事、外交と得意な臣下が行うということが増えます。
しかし、楽毅はその3役割を一手に引き受けて燕を豊かに強くし、国際的な影響力も強くしていきます。
日本でも人気がある三国志の時代は楽毅の時代より後にあり、三国志で有名な人物に「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」がいます。
孔明は自身の才能を「楽毅、管仲」になぞらえていたという記述があります。
管仲という人物も楽毅同様に内政、軍事、外交に優れた人物です。
つまり孔明は自身は内政、軍事、外交にとらわれず活躍できる人物だと言っていたわけです。
実際は内政が抜群に上手く、軍事と外交は普通だったようですが。
話は戻しますが、国を充実させた楽毅は隣国の趙、魏、韓(かん)との繋がりを強めます。
この3国は元は1つの国で、共に斉との親交がありましたが、斉が傲慢になっていたので辟易しているところでした。
この3国と仲良くしながら斉と元々仲が悪い、秦と楚(そ)とも国交を持ちます。
そして斉によって宋という国が滅ぼされます。
宋が滅んだことにより、魏と楚はモロに斉と国境を接し、趙、韓、秦も斉の横暴に対し、警戒しました。
このタイミングで燕の楽毅が6国連合を呼びかけ、斉を討とうと呼びかけをします。
連合国軍と斉軍ぶつかり、斉を破る
これに呼応して各国が兵を出しました。
しかし連合国軍というのは、歴史上あまり成功した例はありません。
連合国軍を組んだ方が兵数の差がかなり大きくなり、圧倒的に有利になるはずです。
ただ各国の思惑は別々になりがちで、今回の場合は復讐が目的の燕と斉を攻めて少しでも斉の領土が欲しい趙、魏、韓、楚、秦という構図です。
そして戦が長引くと本国でトラブルが起こることがあり、連合国軍から離脱が起きて士気が下がるということもあります。
つまり、連合国軍を組んだということは長期戦は選択できないということです。
なので燕とそれ以外の国では士気が違います。
この時の士気はいかに連合国軍の総司令官である楽毅が全軍に目標の共有をするのかということと、それぞれの国に分けられる戦後の恩賞で変わってきます。
楽毅は連合国軍を率いる力量も持ち合わせていました。
そして斉軍を打ち砕きます。
そのあと燕軍は、おそらく単独で斉の首都の臨淄(りんし)を攻め落とします。
なぜ単独と言えるかは先ほども書いた各国のそれぞれの思惑が違うからです。
首都まで攻め落とすとなると、あまりにも斉に恨みを残してしまいます。
連合国軍に参加した国としては領土は欲しい、けど恨みは欲しくないわけです。
なので臨淄攻めは燕軍が単独不意打ちで強襲したのだと思います。
この作戦は成功し、斉の首都の臨淄を占領します。
そこに占領行政を置き、楽毅はそこに留まり、斉の各都市を攻め落としていきました。
それは半年間で70余城が奪われるという圧倒的なスピードでなされます。
あと莒(きょ)という街と即墨(そくぼく)という街の2つという所まで斉を追い詰めますが、ここで燕の昭王が病に倒れ、亡くなってしまいます。
斉は即墨に田単(でんたん)という若者がいました。
彼は燕の昭王が亡くなったことを聞くと、昭王の長男の恵王が楽毅との仲が悪いことに目をつけて密偵を燕に忍び込ませ、楽毅を誹謗中傷しました。
それにより楽毅は亡命せざるをえなくなります。
楽毅がいない燕軍は田単の反撃に耐えられず、あっという間に70余城を取り返してしまいます。
これにより斉は復興しますが、秦と東帝、西帝とお互いを呼びあって、中国を統一しようとしていた時の国力には戻らず、このあとは秦の1強となり秦以外の国は秦に統合されました。
歴史にもしもがあり、燕の昭王がもう少し長く生きていたら、もし恵王が英邁な王様だったら燕と秦が国力を高め、燕が中国を最初に統一する国家になっていたのかなと思ってしまいます。
そして楽毅の地位は、昭王という後ろ盾があったからこそ盤石だったものでした。
歴史から学ぶとしたら、やはり自分の足で立ち、誰にも依存しないという状態でコラボしていくことが人生で一番の近道かなと思います。
嶋村吉洋さんの主催する「ワクセル」のように、誰にも依存せず、自身を磨いて様々な方がコラボレーターとして参加しているという状態が理想かと思います。
まず自身の魅力をあげるためにもWORKOUTをして鍛えていきましょう。