マーティ・ブラウン 奇妙なベース投げを編み出した野球監督

嶋村吉洋も楽しくなるマーティブラウン伝説

出典:週間ベースボールONLINE マーティ・ブラウン氏のページ

こんにちは。大関です。

マーティ・ブラウンという方をご存知でしょうか。

野球が好きな人は知っている方だと思いますが、それでも監督としてのマーティ・ブラウン氏だと思います。

しかし、この方は若い頃には選手として広島東洋カープに2年間だけ在籍していました。

その頃は目立った成績はなかったものの、俳優か?と思うほどイケメンでした。

そんなマーティ・ブラウン氏が監督として日本に帰ってきたのは2006年。

そこから2010年まで監督を務めますが、セオリー通りではない奇策や、日本プロ野球史上歴代2位の退場回数など波乱万丈な監督生活を送ります。

今回はそんな監督としてのマーティ・ブラウン氏を紹介します。

闘将マーティ・ブラウン


マーティ・ブラウン氏は2006年、古巣広島の監督に就任しますが、1年目にいきなり奇策を披露します。

のちにブラウンシフトと呼ばれるものです。

4月のある試合、中日と対戦し4-4の同点で延長11回を迎えた場面でした。

広島は1アウト満塁の危機を迎え、バッターは右打ちがとにかく上手い井端選手でした。

そこでブラウン監督は外野であるはずのセンターを内野にまで来させ、内野を5人で守らせるという大胆な策を行います。

すると、井端選手をサードゴロに打ち取り2アウトになりました。

しかしその直後、捕手がパスボールというエラーをして中日に勝ち越され、その試合は負けてしまいました。

しかし、ブランドシフトは間違っていなかったのでリベンジする機会を伺っていました。

7/14、横浜ベイスターズとの戦いでまた内野5人シフトを試します。

この試合では延長10回で1-1。

1アウト満塁とピンチを迎えました。

そこで横浜バッターは左打者の古木選手というプルヒッター(引っ張りが得意)です。

この時はレフトには人を置かず、球場のライト方向と内野に人をギュッと配置しましたが、ピッチャーの永川選手が暴投をしてしまい、サヨナラ負けをしています。

このことによって内野に5人ではなく、捕手を8人の方がいいのではないかとネットでは話題になりました。

さらにブラウン監督といえば退場です。

選手時代は退場は無く、監督時代の6年間だけで退場を12回しています。

日本史上一番多く退場しているのはタフィ・ローズ選手という方で13年間日本のプロ野球に在籍して14回退場しています。

ブラウン監督はペースが違います。

最初の退場は就任1年目。

ブラウンシフトを最初に試した翌月の5月でした。

この時のピッチャーのロマノ投手が1塁のセーフ判定に不服を言ったことが発端でした。

ブラウン監督も闘将でカッとなりやすいので抗議に行きます。

判定が覆らないと見るや1塁に向かい、1塁ベースを引っこ抜いて放り投げるという暴挙に出たのです。

これには審判も驚きながらも退場を宣告。

ブラウン監督の初退場でした。

しかし、広島はこのブラウン監督の行いを好意的に受け止め、1塁ベースがぶん投げられているイラストのTシャツを作り、Tシャツはまさしく飛ぶように売れました。

そして広島のファン感謝デーでも『ベース投げコンテスト』が行われ、ファンもブラウン監督の行動を楽しんでいたことがわかります。

時は流れて2010年、楽天の監督に就任していたブラウン監督ですが、この年も審判の判定に納得できませんでした。

西武の平尾選手が打った打球をショートがとり、セカンドに投げますが、セカンドの枡田選手の足がベースから離れていました。

これにブラウン監督は抗議しますが、判定は覆らず。

過去にムーブメントを起こしたベース投げを今度は、メットライフドームの2塁ベースで起こそうとします。

しかし、メットライフドームのベースはしっかりボルトで固定されていたため、一切動きませんでした。

野球中継の実況アナウンサーにも「とりますか?」「それでもとれないぞ」と冷静に言われてしまっています。

ブラウン監督の12回の退場はバリエーションも豊富で、ホームベースに土をかけて隠したり、靴と帽子を置いて「この疑似審判の方が正確だよ」と言ったりユニークです。

ベースが引っこ抜けなかった2010年をもって日本プロ野球界から退いたブラウン監督ですが、また帰ってきて欲しいですね。

野球にはWORKOUTが必須ですが時にはユニークに継続していきましょう。