こんにちは。大関です。
前々回、アレクサンダー・セルカークを取り上げましたが、最近遭難系の情報を視聴したり、読んだりするのになぜかハマっています。
WORKOUTは好きで、山登りなどは体を鍛えることに最適ですが、山登り自体には今まで興味を持ってきませんでした。
そして現在も遭難系の情報に触れすぎているせいか興味はでません。
むしろ山登りは恐いと感じてしまいます。
一番最近登ったのも2019年の高尾山日帰り、しかもケーブルカーを使用する、というビギナーです。
しかし、そういった情報を見て知識が増えると、初心者向けの山だろうが、本当に山はなめてはいけないということがわかります。
夏場でも凍えるような経験をしている人も大勢いることがわかりました。
今回は高校生が奈良県の大峰山に登って遭難し、8日後に全員救助された話を紹介します。
大峰山遭難事故の始まりから顛末
1975年の夏に高校生の山岳サークルのメンバー4人で2泊3日で大峰山に登る計画を立てたことが事の発端になっています。
その中でリーダーを務める男性は山登りが好きで、経験がありましたが、他の3人は初心者でした。
順調に山登りを楽しんでいましたが、2日目、地図を読み間違え、知らない滝にぶつかり、さらに脱出不可能な谷に迷い込んでしまいます。
彼らは初日に豪華な食事をしており、持ち込んだ食料の大半を消費していました。
3日目には食料が少なくなり、献立は少量のお米を多めの水で沸かしたおかゆのような食べ物に変わり、空腹に襲われます。
4日目にはリーダーは熱を出してしまいます。
それまでリーダーは道を探すために崖を登ったりして傷だらけになっていました。
そんなリーダーを見てメンバーの1人が、リーダーに多くおかゆを分け与えます。
その時にメンバーが言った「お前はリーダー。大変な苦労をかけて道を作ってくれた。手足見てみろや。傷だらけや。食べろ。元気出してもらわんと。」という言葉をリーダーは一生忘れられないと言います。
5日目にはリーダーの熱は不思議と下がりました。
その日にラジオで自分達が捜索されていることを知り、滝に黄色のポンチョをつけ、目印としました。
6日目にはお米もなくなり、食べ物はポテトチップスやクッキーだけとなりますが、それも川の水をつけふやかして少しでもお腹に溜まるように工夫します。
7日目にヘリコプターを見ましたが、深い藪の中にいた高校生には気が付かず去っていってしまいました。
8日目にはラジオから「捜索は打ち切る」という情報が入り、高校生達は遺書を生徒手帳に書きます。
しかしその後、ヘリコプターに発見され救助されます。
ただ大変なのはここからでした。
ということで後半に続きます。