出典:衣笠祥雄の生い立ちと家族、若い頃と骨折のエピソードとは?
こんにちは。大関です。
WORKOUTをして体を鍛えることは大事ですが、それによって健康を損なったり、ケガをしたりしては意味がありません。
健康でいるということは重要です。
プロスポーツ選手は健康そうに見えますが、体を酷使する職業なので、実はどこかしらケガを抱えながら仕事を全うしていると聞きます。
さらに自分の後釜を狙う競争相手もいます。
そんなハードな世界で試合に出続けるということはとんでもないことです。
1987年の今日(6月13日)に野球の世界で、連続試合出場2131試合という記録が作られました。
広島カープで活躍していた『衣笠祥雄(きぬがささちお)』さんが当時メジャーリーガーの『ルー・ゲーリック』の持つ世界記録2130試合を塗り替えた日になります。
このことから本日6月13日は衣笠祥雄さんの愛称から鉄人の日となったようです。
そして6月22日には、野球では王貞治さんに次いで2人目の国民栄誉賞が授与されました。
国民栄誉賞は少しおじいちゃんになっている人がとるイメージがあったので、現役のスポーツ選手で国民栄誉賞とは驚きました。
最終的に衣笠祥雄さんは引退で記録が途切れる1987年10月22日まで試合に出続け、連続試合出場は2215試合になりました。
これは今も日本記録です。
そして連続試合出場が始まったのが1968年の10月19日でした。
ということは丸々19年間休まなかったということです。
普通に会社員をしていても、19年間も病気にならずに出社するということができるでしょうか。
しかもケガのリスクがあるスポーツの世界でです。
そう考えると驚異的ですよね。
衣笠祥雄さんのエピソードの中で特に好きなものを紹介します
実際、現役時代は見ていないですし、連続試合出場の話題が多いためあまり記録やエピソードに目が向いていないのが衣笠祥雄さんです。
仲間想いな性格でとてもかっこいいエピソードがあります。
野球に詳しい方は1979年の日本シリーズの『江夏の21球』というエピソードを知っていると思います。
色々な人が語り、リアルタイムでは見てなくても映像も残っており、たまに特集されるので僕も見たことがあります。
日本一を賭けて9回裏広島が1点リードしている場面で、ノーアウト満塁のピンチになってしまいます。
最終的に投手の『江夏豊(えなつゆたか)』さんがスクイズを外す投球をし、他のバッターも三振に打ち取って広島が球団創設以来初の日本一になっています。
しかし、ノーアウト満塁のピンチを作ってしまったのも江夏豊さんで、当時の監督であった『古葉竹織(こばたけし)さんは江夏豊さんの交代も考えていました。
なのでブルペンで投手を準備させます。
それを見た江夏豊さんは信頼されてないと思い、大ピンチの中なのにいらだっていました。
そこに声をかけにいったのが衣笠祥雄さんです。
「俺もお前も同じ気持ちだ。ベンチやブルペンを気にするな」
「お前にもしものことがあったら俺もユニフォームを脱ぐよ」
といったことを江夏豊さんに言ったそうです。
それによって江夏豊さんは吹っ切れ、打者に集中して打ち取ったということです。
そして衣笠祥雄さんは上記の言葉を江夏豊さんに言ったところ、江夏豊さんから
「お前、綺麗な歯してるな」
と言われたそうです。
衣笠祥雄さんは江夏豊さんに「一緒にユニフォームを脱ぐ」という言葉を言った時に悲壮な雰囲気ではなくニカッと笑ったということですね。
勝てば日本一、負ければ敗者というギリギリの状態でこういった会話をしているということがおもしろいし素敵だなと感じます。
WORKOUTをして常に最高のパフォーマンスを発揮しましょう。