こんにちは。大関です。
8/2にすごい記録が達成されました。
ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズの試合が神宮球場で行われましたが、ヤクルトスワローズの若き4番、村上宗隆(むらかみむねたか)選手が5打席連続ホームランを放ちました。
5打席連続ホームランはプロ野球新記録になります。
今年はとにかく記録ラッシュです。
まず千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希(ささきろうき)選手の完全試合がありました。
佐々木朗希選手の完全試合には、今までのプロ野球記録に並ぶ1試合19奪三振とプロ野球新記録の13者連続三振の記録もついてきました。
さらに3人のノーヒットノーラン達成者が誕生しています。
ソフトバンクホークスの東浜巨(ひがしはまなお)選手、DeNAベイスターズの今永昇太(いまながしょうた)選手、オリックスバファローズの山本由伸(やまもとよしのぶ)選手です。
1シーズンに4人のノーヒットノーラン達成者が現れるのは79年ぶりということで、それだけでもとんでもないシーズンだったことがわかります。
佐々木朗希選手が完全試合を達成した時は記事として取り上げているので、よかったら目を通してみてください。
ここまで投手の話をしてきました。
「今回は打者の話なのに、なかなか村上宗隆選手の話にならないな」と思ったかもしれません。
しかし今年の投手のすごい記録を並べてもプロ野球新記録というものは佐々木朗希選手の13者連続三振のみで、あとは過去に同記録の達成者がいます。
しかし、今回の記録はプロ野球新記録ということなので、いかにすごいことなのかがわかると思います。
過去に4打席連続ホームランを打った選手は?
過去に4打席連続ホームランを放った選手は全部で20人います。
完全試合は佐々木朗希選手で16人目ということなのでかなり難易度は高い記録となります。
そして4打席連続ホームランを純粋に4打席連続で打ったのか、それとも四死球を挟んだのかで分けられています。
四死球はフォアボールとデッドボールのことで、四死球があった打席は打数に含まれません。
つまりフォアボールやデッドボールで打つ機会を逃してはいても、打つ機会があった打席ではホームランを打っているのが四死球を挟んだ4打席連続ホームランです。
どちらもとても難易度が高いですが、四死球を挟まない4打席連続ホームランの方がすごいとされます。
過去に四死球を挟まない4打席連続ホームランを打った選手は以下になります。
青田昇(大洋)1956年
王貞治(巨人)1964年
長池徳二(阪急)1967年
松原誠(大洋)1976年
醍醐猛夫(ロッテ)1971年
羽田耕一(近鉄)1974年
高木守道(中日)1977年
トニー・ソレイタ(日本ハム)1980年
谷沢健一(中日)1981年
ランディ・バース(阪神)1986年
ロッド・アレン(広島)1990年
ダグラス・ジェニングス(オリックス)1995年
ナイジェル・ウィルソン(日本ハム)1997年
上記の選手13人が四死球を挟まずに4打席連続ホームランを放った選手です。
2試合にまたがって4打席連続ホームランを打った選手もいます。
というか1試合のうちに四死球を挟まず4打席連続ホームランを記録しているのは王貞治さんとナイジェル・ウィルソンさんだけでした。
この試合を見れた人は幸運でしたね。
続いて四死球を挟んだ4打席連続ホームランを見てみましょう。
田淵幸一(阪神)1973年
掛布雅之(阪神)1978年
トニー・ソレイタ(日本ハム)1980年
ラルフ・ブライアント(近鉄)1989年
古田敦也(ヤクルト)2003年
ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)2013年
山田哲人(ヤクルト)2015年
ブランドン・レアード(日本ハム)2017年
以上の方々が4打席連続ホームランを放った偉大な選手達です。
王貞治さんは世界で一番ホームランを打っている選手ですし、バレンティン選手は日本のシーズンホームラン記録を持っています。
そんな人々を2位タイ記録にしたのが今回の5打席連続ホームランです。
しかも村上宗隆選手は四死球を挟まず1試合で5打席連続ホームランを放っています。
ちなみに村上宗隆選手は22歳と若手と言われる年齢です。
それでは村上宗隆選手の経歴も見ていきましょう。
順風満帆ではなかった!?ヤクルト村上宗隆選手の経歴
村上宗隆選手は熊本県熊本市に2000年2月2日に生まれました。
『2』に縁がある人なのでしょうか。
野球を始めたのは5歳の時だといいます。
頭角を現すのは早く、中学の頃には九州センバツに選ばれました。
高校では地元の強豪の九州学院高校に進学し、なんと1年生から4番ファーストで出場。
高校1年生で185cm86㎏と大柄な体格をしていたので、他を圧倒していたんだと思います。
そして1年の夏に甲子園に出場しましたが、甲子園では打てず、エラーもしてしまい初戦敗退。
その時に大活躍したのが後に日本ハムに入団した清宮幸太郎選手でした。
この時から同学年の村上宗隆選手は『清宮世代』とくくられて言われます。
そして2年生にはキャプテンになり、ポジションをキャッチャーに変更しますが甲子園に出場することはできませんでした。
3年の時もあと1歩というところで甲子園を逃しています。
こう見ると屈辱にまみれた高校時代を過ごしていることがわかります。
そして大舞台には元々弱く、大事な場面では打てなかった選手でした。
しかし3年生で187cm95㎏とWORKOUTし、高校通算52ホームランという記録はとても立派で、プロにスカウトされるには充分でした。
ただ同学年の清宮幸太郎選手も同年にドラフトにかかります。
後に入団するヤクルトスワローズも1位指名は清宮幸太郎選手でした。
なんと1巡目の入札では村上宗隆選手を指名する球団はなかったのです。
その後、清宮幸太郎選手との交渉権を逃したヤクルトスワローズが外れ1位で村上宗隆選手を指名し、入団したというわけです。
ここでヤクルトスワローズが清宮幸太郎選手の交渉権を得ていたらどうなっていたんだろうと思ってしまいますね。
この時、契約金8000万円、年俸720万円で入団します。
1年目は9月16日の1軍の試合に6番サードで出場し、いきなりエラー、しかしミスを取り返そうとプロ初安打をホームランで飾ります。
しかしその後5試合に出場しましたがヒットはありませんでした。
この年は720万円の年俸が800万円に上がります。
2年目はオープン戦で活躍し、19歳ながら開幕スタメンを勝ち取ります。
そして5月11日の巨人戦で2桁ホームランを記録、オールスター戦に三塁手部門のファン投票1位で選出されます。
最終的に打率はリーグ最下位、セ・リーグ歴代最多のシーズン三振を記録しながらも36本のホームランを放ちました。
ちなみに36本のホームランは高卒2年目以内では最多となっています。
新人王のタイトルも獲得し、年俸も800万円から4500万円に大幅アップしています。
3年目は開幕から4番サードに固定され、1年を通して活躍しました。
この年は120試合と元々開催された試合数が少なかったですが、打率.307、28本塁打、86打点を記録しています。
そして球団最年少の20歳での月間MVPと最高出塁率、一塁手としてベストナインのタイトルを獲得します。
年俸は4500万円から1億円の大台に乗り、ヤクルトスワローズとしては古田敦也さん、青木宣親選手、小川泰弘選手に並び、入団4年目での1億円プレーヤーとなっています。
そして4年目も開幕から4番サードで固定されましたが、前半戦は調子は上がりませんでした。
しかし東京オリンピックの選抜に選ばれたあたりから調子をあげ、通算100本塁打を史上最年少で達成。
最終的には打率.278、39本塁打、112打点をあげます。
39本のホームランで本塁打王のタイトルも獲得しました。
この年はチームのヤクルトスワローズも優勝し、日本一に大きく貢献しました。
オフには三塁手部門でベストナインに選ばれ、セ・リーグとしては最年少の21歳でリーグMVPを獲得します。
この活躍によって年俸は1億円から2億2000万円プラス出来高になりました。
やっぱり『2』に縁がある選手ですね。
そして5年目の2022年8月2日に5打席連続ホームランを放っています。
ちなみにMLBでも5打席連続ホームランの記録はありません。
最近は村神選手と呼ばれているようですね。
ホームランをたくさん打つと神様になるようです。
これからもWORKOUTを続けてホームラン数を更新して欲しいですね。