こんにちは。大関です。
数年前からAIの進化によって8割の職業が失われていくと様々なメディアで言われるようになりました。
そして今持っている職がAIによってとられてしまい無職になってしまうのではないかと不安になる方も多いと思います。
しかし昔も今も技術革新で職業がなくなったら新しい仕事が誕生して、そこに転職しているものです。
よく例に挙げられるのは高速道路の料金所です。
ETCが導入されるだいぶ前から料金所は将来無くなると言われていたそうです。
現在ETCが導入され、大幅に人員は削減されています。
ETCの方が早く正確ですから仕方ないですね。
これはいくらWORKOUTをしても機械には勝てません。
他にはどういった職業が過去にはあったのか見ていきましょう。
銭湯での贅沢を演出した 三助
出典:幻の職人業・背中流し師「三助」って? – Yutty!【ユッティ】
まず1つめは銭湯で背中を流してくれる役目をしていた三助(さんすけ)です。
日本人は古来より風呂好きで、まだ一般家庭にお風呂が普及していない時代は銭湯に通っていました。
落語の中にも銭湯が舞台になった噺もありますね。
民衆に愛されていた銭湯ですが、その中でお金のあるものは三助のサービスを利用して一種のステータスとしていたようです。
入浴代とは別に、流し代を払うことで三助がやってきて背中はもちろん体中を洗ってもらえ、マッサージまでしてもらえたそうです。
流し代は入浴代と同額ほどだったようなので、入浴代を2倍払って流してもらうことに価値を感じるかどうかですね。
そして三助は男性が行う仕事だったのですが、このサービスは男女どちらも利用することができました。
なので女子浴場に男性の三助が入っていき、体を洗うということもあったようです。
今では考えられないことですが、当時はそれが当たり前なので誰も批判することもなく、反対にイケメンな三助は女性から人気があったようです。
今三助の仕事があったらWORKOUTをして女性から人気な三助になれるように努力する人は増えたかもしれませんね。
実際、昭和30年頃は1日に30~40人ほど三助の利用者がいたようで、銭湯に3~4人は常在していないと回らないような仕事でした。
毎日お客さんの体を流し、マッサージもしていたらそれだけでかなり鍛えられそうです。
しかも三助はその名前の通り、3つの役割を主に行う仕事です。
それは
・風呂を沸かす薪を集めて釜を焚く
・湯加減の調整
・番台業務
です。
つまり背中を流したりマッサージをしたりするのは副業的な仕事です。
薪も重かったり、釜にくべるために斧で割ったりすると思うのでかなりハードな仕事だと思います。
しかし、一般家庭にお風呂が普及し銭湯の需要が減ってきてからは三助の仕事も大きく減り、成り立たなくなってしまいました。
昭和40年代は東京都内には2600軒もの銭湯があったようですが、現在では500軒に満たないほどに減っています。
ただ、意外な話ですが「最後の三助」は2013年まで活躍していました。
平成の世の中でも三助の仕事をしていた人がいたのは驚きですね。
女性の花形職業だった 電話交換手
続いては電話交換手です。
これは白黒の昔の映画で見るくらいではないでしょうか。
余談ですが、電子機器は映画などの映像作品とは相性が悪いと個人的には思っています。
例えば、学生時代に流行ったドラマなどを久しぶりに見ようとしたら使用している電話がガラケーだったら時代を感じてしまいます。
それだけで気になって内容が入ってこなくなってしまうので、技術革新は嬉しいのですがなかなか困りものですよね。
そんな電話は今はかければ直接相手に繋がりますが、昔はそうではありませんでした。
昔は電話と電話を繋ぐリレー回路が未熟で直接かけることができません。
そこで電話交換手が登場します。
電話をかけるとまず電話交換手が出て、「○○さんをお願いします」または「○○番をお願いします」というと相手に繋げてくれたということです。
この作業は手動で行っていたので間違いも多かったのかなと思います。
そしてこの仕事が女性の花形の仕事になったのですが、その理由は女性の方が記憶力がよく、話し方もやわらかいということからでした。
しかしいたずらやナンパも多かったようで簡単な仕事ではなかったといいます。
この電話交換手も、昭和40年代に電話回線の技術革新によって電話交換手を介さずに通話ができることになり仕事として成り立たなくなりました。
海を迷わずに進むための道しるべ 灯台守
出典:灯台守 とうだいもり
続いては船の運航に重要な灯台を管理する灯台守です。
灯台守の仕事は主に灯台に滞在して維持、管理をしていくことです。
灯台は夜間の航海では必須な建物です。
灯台がなければ陸地がわからずぶつかってしまうかもしれません。
ドラゴンクエストのように陸地にぶつかったら自動で船から降りるみたいなことはないわけです。
自動車が標識を頼りに道を走るのと同様に、灯台を頼りに船は航海しているわけですね。
また灯台の光源を回転させるだけではなく、気象観測や沖合の監視、見学者の案内も業務に含まれており、意外とハードだったようです。
そして、なにより灯台か灯台に併設された家に滞在するため寂しさに苛まれるようです。
人間関係が煩わしくて仕事を1人でこなしたい人は「そんな仕事いいじゃん」と思うかもしれませんが、仕事だけでなくプライベートも基本1人です。
そして赴任地が人口が少ない地域だと飲料水が乏しかったり、医者がいなかったり、ご近所付き合いができなかったり、子供に友達ができなかったりします。
また医者がいないので自身の妻が妊娠した時も、産婆代わりに子供を取り上げたりしないといけません。
アニメみたいにタオルの用意とお湯を沸かして「男なんていざって時は無力なもんだな」なんて悠長なことは言っていられないわけです。
しかし灯台守の仕事も機械による自動化で数を減らしていきました。
日本で最後の有人灯台だったのは「長崎県女島灯台」でしたが、ここも2006年に自動化され、灯台守という仕事は消滅しました。
今では考えられない、映画を解説する仕事 活動弁士
出典:カツベン(活動写真弁士)どっこい新黄金期 デジタル時代、新鮮ライブ感覚 新作無声映画も計画中 | 毎日新聞
現在では映画はどんどん映像がきれいになり、人によってはホームシアターで楽しんでいる人もいます。
しかし昔の映画は映像も荒く、無声映画でした。
チャップリンなどが活躍した時代のことなので正直イメージがつきませんが、その無声映画に熱中した世代がいたのは確かです。
しかし日本ではやはり映像には音声がついていた方がいいと感じていた人は多かったようです。
そこで登場したのが活動弁士(かつどうべんし)です。
活動弁士の仕事は映画のナレーションや台詞を上映中に喋る仕事です。
今の映画にあったら確実に邪魔になりそうですが、当時の無声映画では活動弁士もいて1つの作品だったわけですね。
当然ながら上手い人と下手な人がおり、同じ金額を払っても活動弁士によって面白さが変わってしまったようでした。
この活動弁士は日本にのみ登場したようです。
日本は漫才や落語のように話芸の文化が発達していたので定着したようですが、海外には活動弁士はいなかったようですね。
しかし、昭和6年に音声付きの映画が上映されてからは活動弁士の仕事はなくなってしまいました。
昔の仕事はWORKOUTになるほどきつかったりするものもありました。
現在の仕事は机上やクラウドで行うものも多く、筋肉は仕事に関係しないものも多いですが、WORKOUTを継続していきましょう。