こんにちは。大関です。
2022年のサッカーワールドカップではアルゼンチンが優勝しました。
優勝が決まった少し後に僕も記事で取り上げました。
2022年のアルゼンチンの優勝はエースのメッシ選手にとっては悲願のものでした。
そしてメッシ選手が優勝トロフィーを掲げた写真は、過去のInstagramのどの写真よりも「いいね」がついたということで話題になりました。
アルゼンチンが202年以前に優勝したのは1986年。
その時は故・ディエゴ・マラドーナさんがエースとして君臨しており、今でも語り継がれる「神の手」ゴールを決めた年です。
メッシ選手は同じポジションで同じ利き足、似たスタイルでサッカーをしているだけにたくさん比べられたと思います。
ワールドカップでチームを優勝に導いて、やっとマラドーナさんに並んだと思ったかもしれません。
メッシ選手の記事に関してはこちらのリンクからご参照ください。
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アルゼンチン以外にも世界にはたくさんの強豪国があります。
今回取り上げるのはスペインです。
スペインは「無敵艦隊」と呼ばれ、毎回スター選手を揃えて戦っています。
しかし、意外なことにスペインはワールドカップが始まってから2010年に優勝するまで一度も優勝したことはありません。
ワールドカップは2010年時点で80年ほどの歴史があります。
これほど長い歴史の中でスペインが優勝していないということはサッカー好きな人にとっては意外に思うかもしれませんね。
そして2010年の優勝メンバーに『セルヒオ・ラモス』という選手がいます。
今回はこの選手にスポットライトを当ててご紹介していきます。
セルヒオ・ラモス選手の経歴
出典:あまりに大きな存在だった…レアル・マドリー、誰もセルヒオ・ラモスの4番を引き継ぐことを望まず | Goal.com 日本
セルヒオ・ラモス選手はスペインのセビリアに1986年に生まれました。
奇しくもマラドーナさんが活躍してアルゼンチンが優勝した年ですね。
情熱の国のスペインらしく、幼少期は闘牛士に憧れていたようですが親に反対されサッカーに打ち込んだようです。
そしてセビージャというクラブチームの下部組織でサッカーの技術を高めていました。
その頃に同じセビージャの下部組織にいたアントニオ・プエルタさんと出会います。
ここでセルヒオ・ラモス選手とアントニオ・プエルタさんは親交を深めます。
そして共に将来を嘱望される選手に成長していきます。
そのうちセルヒオ・ラモス選手は「レアルマドリード」にスペインの10代としては最高額となる2700万ユーロで移籍します。
当時のレアルマドリードは「銀河系軍団」と呼ばれ、豊富な資金によってスター選手で固められたチームでした。
特に攻撃陣はその当時世界で最強のメンバーを集めたと言っても過言ではない充実ぶりです。
ですが、比較的守備陣には穴がありました。
セルヒオ・ラモス選手はディフェンダーや守備的なミッドフィルダーが主なポジションだったので比較的スムーズにスタメンになります。
それでも世界最高の選手が集まるチームで早々とスタメンの座を固められるのはすごいと思います。
そしてレアルマドリードで2005年から2021年まで16年間活躍し、2021年からは「パリ・サンジェルマン」というチームに移籍しました。
現在もパリ・サンジェルマンでプレーしています。
セルヒオ・ラモス選手は様々な賞を受賞し、常にトップクラスのチームでスタメンを確保していましたが、気性は荒いようです。
熱くなるとラフプレーに走ってしまい、イエローカードやレッドカードをもらってしまうことも度々あるということです。
カードコレクターや悪童、闘犬と呼ばれることもあるみたいですね。
ちなみにレアルマドリードでの退場数のクラブ記録はセルヒオ・ラモス選手が持っています。
レアルマドリードでは背番号4をつけており、パリ・サンジェルマンに移籍した現在でも背番号4をつけ続けています。
セルヒオ・ラモス選手とアントニオ・プエルタさんの友情
上述の通り、セルヒオ・ラモス選手はセビージャの下部組織でアントニオ・プエルタさんと同僚になっています。
年齢はアントニオ・プエルタさんが2つ上です。
2人は年齢も近いこともあってお互い刺激し合って成長していきます。
そしてセビージャの下部組織から抜け、セビージャやU-21スペイン代表でもチームメイトとなりました。
U-21スペイン代表ではセルヒオ・ラモス選手は背番号4、アントニオ・プエルタさんは背番号15をつけて試合に出場したようです。
やがてセルヒオ・ラモス選手はレアルマドリードに移籍しますが、アントニオ・プエルタさんはセビージャに残ります。
敵同士となりましたが、またお互いに研鑽を積んでスペイン代表として招集されたときには共に活躍することを誓っていました。
先に書いたようにスペインはワールドカップが始まってから優勝したことがありません。
セルヒオ・ラモス選手とアントニオ・プエルタさんは自分たちの代で祖国に優勝の金のトロフィーを持ち帰ろうと語り合ったと思います。
しかし、運命は2人の夢を打ち砕きました。
2007年8月25日に行われたセビージャ対ヘタフェFC戦で前半35分、アントニオ・プエルタさんは意識を失い突如倒れてしまいます。
1度は意識を取り戻し、自力でロッカールームまで歩いていきますが、再び意識を失って倒れます。
病院に搬送されましたが8月28日にアントニオ・プエルタさんは亡くなってしまいました。
死因は特発性拡張型心筋症という心臓疾患でした。
その時のアントニオ・プエルタさんは22歳。
まだまだサッカー選手としてこれから活躍するという時でした。
この報告を聞いてセルヒオ・ラモス選手はとてもショックだったと思います。
セルヒオ・ラモス選手は2005年からスペイン代表に選ばれています。
そしてアントニオ・プエルタさんが亡くなってからは、アントニオ・プエルタさんが代表デビューした時に着用していた背番号15をつけてプレーするようになりました。
そして2010年のワールドカップを迎えます。
この年、セルヒオ・ラモス選手は全ての試合に右サイドバックとして先発出場します。
そして大会に参加した選手の中でディフェンダーとして最もシュートを放ちました
セルヒオ・ラモス選手は元々、プロ入り前はストライカーとして活躍していたのでディフェンダーですが攻撃力もあります。
もちろん守備も良く、スペインの初優勝に貢献。
この年のFIFA選出のベストイレブンにも選ばれるほど活躍しています。
そして優勝セレモニーでは記念ユニフォームの上にアントニオ・プエルタさんへのメッセージが書かれたTシャツを着ていました。
そして「この優勝は亡きアントニオ・プエルタに捧げる」というコメントを残しています。
下積み時代に一緒に切磋琢磨した、亡き親友との夢を叶えるセルヒオ・ラモス選手はとてもかっこいいと思います。
さらに代表では背番号15をつけていると書きましたが、この背番号15をつけている時は不思議と1度も退場処分を受けていません。
親友がつけていた背番号15には傷をつけたくないということかもしれませんね。
WORKOUTを極めた先にいる存在として常にお手本となるプロのスポーツ選手ですが、ただただフィジカルを鍛えたらいいというわけではありません。
いかんともしがたい困難に立ち向かってメンタルも鍛えられて初めて魅力的な人間となるのかなと思います。
しかし健全な肉体に健全な魂が宿るという言葉もあります。
ということでWORKOUTを継続していきましょう。