出典:G.G.佐藤選手「マツダオールスターゲーム2008」ホームランダービー出場決定!! | 埼玉西武ライオンズ
こんにちは。大関です。
今回は現代野球ではありえないような入団経緯やエピソードを持つ『GG佐藤(じーじーさとう』さんをご紹介します。
そのエピソードはまるで野球漫画。
野球漫画といえば、才能はあってもいまいちパッとしなかったり性格に難があったりする主人公が良き指導者と出会って努力して活躍するイメージです。
そしてどんどん登場する人物や対戦する人物がインフレしていくイメージだと思います。
上記のような王道の野球漫画のようなストーリーではないですが、この記事を読んだ後にはきっと漫画のような人生だなと思うと思います。
GG佐藤さんの幼少期から西武ライオンズに入団するまでの経歴
GG佐藤さんは1978年に千葉県市川市で生まれました。
本名は『佐藤隆彦(さとうたかひこ)』さんです。
実家は株式会社トラバースという会社の経営をしており、GG佐藤さんは現在では同社の副社長で、株式会社トラバースエンジニアリングの代表取締役社長です。
そして小学校1年生から野球を始めます。
そして中学時代に野球漫画のような指導者との出会いがありますが、その指導者はスラムダンクの安西先生のようなイメージの方ではありません。
その人はヤクルトスワローズなどで監督をした野村克也さんの奥さんの野村沙知代さんです。
なぜ中学生で野村沙知代さんと知り合えるかというと、当時野村沙知代さんがオーナーをしていた野球クラブに入ったからです。
ここでGG佐藤さん曰く、「人生で一番きつい時期」を体験したようです。
それはプロ野球選手時代も含めて一番きつかったようです。
現在ではやってはいけない事になりましたが鉄拳制裁や懲罰もあったと言います。
指輪をたくさんつけた野村沙知代さんからの鉄拳制裁ということでしたが、すごい時代ですね。
試合に負けると裸でパンツ一丁で駅までのダッシュさせられ切符を買って、戻ると「また走って払い戻してこい」と言われることもあったようです。
今ではやってはいけませんが精神力が鍛えられたようですね。
ちなみに全国優勝もしたようです。
そしてGG佐藤さんの名前のGGの部分の由来は野村沙知代さんとのことです。
当時ガリガリに痩せており、猫背だったGG佐藤さんは野村沙知代さんから「ジジイみたいだからシャキッとしろ」と言われます。
そこから「ジジイ」というあだ名になり、後にアメリカでプレーする際に野村沙知代さんの息子さんの団野村さんに「GG」と直されて登録名になります。
中学を卒業した後は野村沙知代さんの助言で神奈川県の桐蔭学園に入学します。
しかし桐蔭学園では甲子園にも出場することなく卒業し、法政大学に進学します。
法政大学では同級生にプロ入りする選手が多く、補欠に甘んじており、プロ志望の想いも持たなかったようです。
普通ならここで就職することを考え、一般の会社に入社する、または実家の会社を継ぐために修行を始めると思います。
しかしGG佐藤さんはここからが違いました。
ここでGG佐藤さんはアメリカでプレーすることを熱望します。
そのきっかけはメジャーリーグで『マーク・マグワイア』選手や『サミー・ソーサ』選手がホームラン争いをしており「自分の活躍の場はここだ」と思ったからだそうです。
高校、大学で成績を残せなかったのにこう思い込めるのがGG佐藤さんの強みかもしれませんね。
ガリガリだった体も「ボディビルダーのように鍛える」と決めて、3時間置きに卵やプロテインを摂るという生活をしたようです。
その結果100キロ以上の体躯を手に入れました。
そして新聞に小さく載っていたフィラデルフィア・フィリーズのプロテストの情報を見て受験します。
そのプロテストには300人くらいが受験していたようですがGG佐藤さんだけが合格しました。
ただし「肩はいいのでキャッチャーとしてなら契約する」と言われたようです。
GG佐藤さんはキャッチャー経験は皆無でした。
しかし「できません」と言うと契約してもらえないので「やります」と答え、上述のように団野村さんをエージェントとしてアメリカに渡ります。
そしてアメリカでは当時日本人メジャーリーガーの開拓者であった『野茂英雄(のもひでお)』さんや『吉井理人(よしいまさと)』さんの自主トレに合流します。
そこで「球を受けてあげて」と言われ、キャッチャーとして初めて球を受けた相手が野茂英雄さんでした。
少し前まで大学で補欠だったのにバリバリのメジャーリーガーの練習相手になるとかすごいですよね。
野球漫画でもここまでのインフレの仕方はしないのではないでしょうか。
そして3年間キャッチャーとしてアメリカにいましたがメジャーには昇格できずに帰国します。
日本に帰ってきて西武ライオンズとヤクルトスワローズのプロテストを受けたようです。
この時に西武ライオンズのプロテストに合格して、西武ライオンズのGG佐藤さんが誕生しました。
「キャッチャーできません!」外野手へ
西武ライオンズのプロテストに合格しましたが、これは千載一遇のチャンスでした。
なぜなら前年にキャッチャーとして絶対的なレギュラーの『伊東勤(いとうつとむ)』さんが引退した翌年だったからです。
伊東勤さんは1984年頃からレギュラーを掴んで2003年までキャッチャーとして活躍しました。
その間にキャッチャーとして入団した選手は伊東勤さんからポジションを奪えないままでした。
そんな選手がいたらポジションはとれないわけですが、伊東勤さんが引退した翌年にGG佐藤さんは強肩のキャッチャーとして注目されて入団します。
ちなみに当時の監督は引退したばかりの伊東勤さんで伊東勤さん直々にGG佐藤さんを見てスカウトしたようです。
自分の後継者にしたかったんでしょうね。
そして西武ライオンズに入団して最初に球を受けた選手が『松坂大輔(まつざかだいすけ)』さんでした。
当時の松坂大輔さんは全盛期です。
その松坂大輔さんのスライダーがあまりに曲がることで捕ることができず、自らスカウトしてくれた伊東勤監督に「キャッチャーできません」と言いにいったようです。
伊東勤監督には「キャッチャー詐欺」と言われながらも「サードならできます」と提案もしたみたいです。
これは大学時代に内野手をやっていたからでGG佐藤さんは自信がありました。
しかし当時ロッテにいたズレータという外国人バッターの打球が怖すぎて伊東勤監督に「サードもできません」と言いにいったようです。
そして「ファーストならできます」と再度提案しファーストにコンバートされます。
しかしファーストは投手からの牽制を受ける必要があります。
この牽制で西武ライオンズの投手の『涌井秀章(わくいひであき)』選手のボールが早すぎて対応できず、また伊東勤監督に「ファーストもできません」と伝えたようです。
元キャッチャーで牽制が早すぎて対応できないのは面白いですね。
そして外野手になり打力を武器に大活躍し、ヒーローインタビューで「愛の波動砲GG佐藤」と発言し人気選手になります。
波乱万丈すぎですね。
現代ではドラフト制度も整備されています。
また3軍制度などもあるので、GG佐藤さんのようにいきなりアメリカで勝負するような破天荒な選手も少ないと思います。
他に独立リーグもあります。
日本国内にプロ野球の1軍では活躍できなくても雇用先が増えたことはとてもいい事ですが、たまにはレールを踏み外しながらも活躍する破天荒な選手が出てきて欲しいですね。
GG佐藤さんのような体躯を手に入れるためにもWORKOUTを継続していきましょう。