こんにちは。大関です。
車いすフェンシングという競技をご存じでしょうか。
競技名の通り、車いすに乗りながらフェンシングをするスポーツです。
現在では夏季パラリンピックの正式種目にもなっており、日本人で活躍している方も多い種目です。
車いすに乗っていますが車いす自体は「ピスト」という板に固定していて動きません。
なので上半身のみで行うフェンシングとなっています。
オリンピックで行われるフェンシングは足で自分が有利な位置に移動しながら行いますが、車いすフェンシングは動くことはできません。
フェンシングは徒歩の兵士の戦い、車いすフェンシングは騎乗の兵士の戦いのように見えるかもしれませんね。
そしてワクセルのコラボレーターさんで『河合紫乃(かわいしの)』さんという方がいます。
とても美人で笑顔が素敵な方なのですが、この人は実は車いすフェンシングの日本代表選手です。
今回は『河合紫乃』さんについて取り上げていきます。
その前に、ワクセルについて初めてこの記事を読まれる方向けに説明しておきます。
ワクセルは僕の友人の『嶋村吉洋(しまむらよしひろ)』さんが主催をしています。
元々友人を介して『嶋村吉洋』さんと知り合い、WORKOUTという共通点から懇意にさせてもらい、現在ではこのブログの運営をさせていただいております。
『嶋村吉洋』さんは投資家をされていたり映画製作をされていたり多方面で活躍されていますが、ワクセルの活動にも力をいれています。
嶋村吉洋さんのX(旧Twitter)はこちら
ワクセルはどういったものかというとプラットフォーム型のコミュニティです。
『嶋村吉洋』さん自体、いろいろな人との縁によって成長し、豊かになってきたとおっしゃいます。
ワクセルを通してコラボレーターさん同士がコラボレートできる場所を作っています。
コラボレーターさんとは現在いろいろな分野で第一線で活躍している方や、これから必要となる分野で専門的な知識や技能を持っている方です。
アスリートもいれば、タレント、芸術家、経営者、インフルエンサーなどなど様々な人がおり2023年10月1日時点では1549名のコラボレーターさんがいます。
そしてワクセルはコラボレーターさん同士の交流会などを通して2023年10月1日時点で103個のプロジェクトが発足しています。
コラボレーターさん同士の知識や技能がマッチングして、よりお互いが活躍できるプロジェクトが立ち上がるということでプラットフォーム型のコミュニティと表現しています。
では『河合紫乃』さんのご紹介に移ります。
ワクセルのトークセッション動画でフェンシングの選手になるまでを語った河合紫乃さん
『河合紫乃』さんは1992年に富山県に生まれました。
『河合紫乃』さんの経歴についてはワクセルの公式YouTubeチャンネルにアップされているトークセッション動画が詳しいと思います。
トークセッション動画ではワクセルの総合プロデューサーの『住谷知厚(すみたにともひろ)』さんも出演して『河合紫乃』さんにインタビューをしています。
住谷知厚さんについてはこちら
トークセッション動画によると『河合紫乃』さんは2018年から車いすフェンシングの選手になったようです。
トークセッション動画は2022年にアップされていますが、2023年現在でもまだ5年ほどのキャリアしかありません。
なのに日本代表に選ばれています。
すごいですね。
ちなみにトークセッション動画では触れられていませんが、『河合紫乃』さんはホリプロとマネジメント契約をされています。
なので、ホリプロの公式サイトに『河合紫乃』さんの紹介ページがあるのですが、そこには車いすフェンシングの選手になって1年で日本代表になったと書いてあります。
つまり5年のキャリアですが、そのほとんどを日本代表として過ごしています。
めちゃくちゃ才能に溢れた選手ですね。
『河合紫乃』さんは車いすフェンシングをする前はバトミントンの選手だったようです。
小学生から17年間バドミントンをし、インカレ団体優勝を2度経験し、実業団チームに入り、S/Jリーガーにもなりました。
しかし故障があり、手術の後遺症で麻痺が残るようになってバドミントンを引退したようです。
さらにその後2年間は引きこもりを経験したと言います。
というか治療で寝たきりだったようで、その時には体重も30キロほどになりげっそりしていたようです。
この当時は人とも喋れないくらい精神的にも追い込まれていたようですね。
こういった話しは思い出しても辛い過去かなと感じながら動画を見ていましたが『河合紫乃』さんはニコニコしながら語っていました。
もうすっかり乗り越えて前を向いて進んでいることがわかりますね。
再びアスリートの道へ 車いすフェンシングの選手になったきっかけは
寝たきりの時に握力も8キロくらいに落ちてしまったようです。
そんな状態でも車いすバドミントンの選手としてオファーがきたようです。
『河合紫乃』さんは明るく物事を前向きに捉えるので実力もさることながら、チームにいたら雰囲気も明るくなって、いるだけでもいい効果がある人だと思います。
しかし『河合紫乃』さんはそのオファーは断ったそうです。
車いすバドミントンは車いすを素早く動かしながら行う必要があります。
その当時は上記のように握力も8キロほどで体力もなかったので、車いすの操作が難しかったと言います。
さらに健常の時と比べ、「以前はできたのに…」と葛藤するのがわかっていたので車いすバドミントンを選ばなかったようです。
17年間取り組んできたものを置くことは簡単にできることではないと思います。
しかし健常の時から後悔のないように全力で取り組んでいたからこそ、こういったことがあった時に置くことができるのかもしれませんね。
ちなみに周りからは車いすバドミントンを選んだら「最もメダルに近い選手」と言われていたようです。
そしてフェンシングの選手になったきっかけは、なんと車いすフェンシングの「東京パラリンピック募集」という文言をネットで見つけて応募したことだったようです。
ワクセルの総合プロデューサーの住谷知厚さんもコメントしていましたが、ネットショッピングの感覚で人生の選択を大きく変えています。
しかしこういった思い切った選択を明るくあっけらかんとできてしまうのが『河合紫乃』さんの魅力かなと思います。
そして『河合紫乃』さんは人との約束を守ろうとしたことも車いすフェンシングの選手になったきっかけになったそうです。
治療で入院していた時に、バドミントンで一緒に全国優勝した後輩がお見舞いに来ました。
その時に後輩と「一緒に東京オリンピックに出よう」と約束を交わしたそうです。
そしてバドミントンと車いすフェンシングと道は別々になりましたが、その後輩の優勝をきっかけに約束を守ろうと決めて立ち直っていったと言います。
もちろん握力8キロで体力も落ちていて、いきなり日本代表になれるわけではないと思うのでめちゃくちゃに努力したと思います。
そういった努力があって現在の『河合紫乃』さんがいるわけですね。
現在では車いすフェンシングの日本代表に加えてモデルとしても活躍しています。
ワクセルのトークセッション動画で見ていると元気をもらえますし頑張ろうと思えます。
気合を入れてWORKOUTをしようと思った時にはぜひ見てみてください。