こんにちは。大関です。
このブログの運営者の『嶋村吉洋(しまむらよしひろ)』さんが主催するワクセルで、またとんでもなく大物の人物がYoutube動画に出演していました。
その人物は去年までオリックスバファローズで指導者として活躍されていた『田口壮(たぐちそう)』さんです。
近年のオリックスバファローズはとても強いチームでスター選手もたくさん輩出しています。
そして田口壮さん自身も現役時代はスター選手でした。
1995年、1996年に優勝した当時オリックスブルーウェーブでレギュラーを獲り、後に大リーガーとなっています。
特に1995年、1996年は監督を『仰木彬(おうぎあきら)』さんが務めていました。
仰木彬さんは「仰木マジック」と言われるくらいその日によってスタメンオーダーを大きく変える戦略で有名な監督でした。
スタメンで試合に出続けるだけでも、それだけチームに必要な選手だったというわけですね。
そんな田口壮さんがワクセル会議で語ったことをご紹介します。
ワクセル会議のYoutubeで語った田口壮さんの原点は怖く、厳しい野球
田口壮さんの紹介をワクセル総合プロデューサーの『住谷知厚(すみたにともひろ)』さんが読み上げてすぐに田口壮さんは入団したてのエピソードを語ります。
それはサインの見落としをして先輩に胸ぐらを掴まれて怒られたという話でした。
今の時代ではOUTな話ですが、当時の選手が現在では様々な動画で昭和の野球のエピソードを話しています。
すると皆さん「もう時効だから」と言いながらこういった話をしているのをよく耳にします。
たしかに度が過ぎるほど厳しく接するのはよくないことだと思います。
実際に田口壮さんもプレッシャーからイップスになってしまい送球難から外野手に転向しています。
しかしワクセル会議の後半で田口壮さんは考える野球の重要性を話しており、考えるきっかけになったのは先輩たちのしごきだったと話しています。
そして同僚であり同期入団のイチロー選手が大ブレイクした時ははがゆい思いもしたようです。
ただそう思うことは間違いではなくむしろそういう思いをバネにしていく必要があると動画を見て思いました。
現在のプロ野球は選手がのびのび野球をしていると言います。
ただ緊張感がある場も必要だとは思います。
今は怖さや厳しさで緊張感がある時代を生きた先人に教えられながら、のびのびできる場が整えられたハイブリットな文化が形成されているのかなとも思います。
なので『大谷翔平(おおたにしょうへい)』さんのような大スターが誕生する素地ができたのかもしれませんね。
田口壮さんがワクセル会議のYoutubeで語った大リーガー時代
プロ入団2年目にハワイのウインターリーグで大リーグの選手に混ざって野球をしていた時に田口壮さんはアメリカに行きたいと強く思ったそうです。
その理由は日本の先輩たちに比べてアメリカの選手はみんな優しく、楽しく野球ができたからだそうです。
しかし実際に大リーグに移籍する時は日本でのキャリアも積んで一目を置かれた存在になっていたので取り巻く状況は変わっていたと思います。
そしてワクセル会議のYoutubeで田口壮さんが語った一番印象的な話はワールドシリーズを制覇したフィラデルフィア・フィリーズに所属していた時の話でした。
フィラデルフィア・フィリーズに所属していた時の田口壮さんはほとんど試合に出られない状況でした。
スタメン外野手が怪我をしている時は試合に出場できましたが、怪我から復帰すると控えになります。
活躍の場を求めてトレードを球団に希望しましたが、球団からは「お前が試合に出ないということはそれだけチームが健康ということなんだ」と言われます。
当時の田口壮さんは気づいていませんでしたが、球団はスーパサブとしての実力を買っていたということですね。
そしていざという時はきっちり役割を果たしてくれると球団は信頼を置いていたということです。
そこから田口壮さんは不満を言わず準備だけはかかさずにニコニコしていたら、あれよあれよとチームが勝ってワールドシリーズを制覇したそうです。
田口壮さんは日本にいた時も怖かった先輩たちの懐に入り込み、飲みに連れてってもらって野球の話をして勉強していたそうです。
そして大リーガーになってからも監督がコーチに指示を出している会話などを聞いて野球について理解を深めました。
そういった野球への深い理解と実行できる実力があったからフィラデルフィア・フィリーズでは控えながら重宝されたのだと思います。
そして現役を退いてからは指導者として手腕を発揮できたのだと思います。
ワクセル会議の様子が収められたYoutubeはとても学びが多いのでWORKOUTをしながら視聴しましょう。
