出典:リュドミラ・パヴリチェンコさんのWikipediaトップページ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3
こんにちは。大関です。
今回もWORKOUTの最高峰である、軍人さんに目をむけていきたいと思います。
そして、過去の記事でもスナイパーを扱ったものがあります。
過去に書いたスナイパー、カルロス・ハスコックに関する記事はコチラ↓
そして今回紹介するのは、『女性』でスナイパーとして活躍した「リュドミラ・パヴリチェンコ」さんで。
どのような活躍をしてたのか見ていきましょう。
国の英雄となったリュドミラ・パヴリチェンコ
リュドミラ・パヴリチェンコさんは1916年に帝政ロシアに生まれ、後にソビエト軍で活躍する軍人さんです。
幼少の頃は、お転婆で男の子にも負けない性格でした。
そして14歳の頃から軍事訓練場に通うようになります。
その後、軍事訓練所にいた男子が射撃の腕を自慢したことから、「女子でも男の子に負けないくらい強くなる」と心に決めて日々訓練に励みます。
実はその男の子のことが好きで、この時に死亡フラグが立ったということはありません。
そして1941年にヒトラー率いるドイツ軍がソ連に侵攻します。
当時、大学生だったリュドミラ・パヴリチェンコさんは入隊を希望しますが、女性という理由で断られてしまいます。
その後も入隊の意志を伝えていましたが、ある日軍から、「次の戦いで敵兵を2人仕留めること」を条件に入隊が許されます。
そして、いとも簡単に課題をクリアし、入隊しました。
入隊後はギリシャとモルドバに派遣され、75日間でなんと187人を仕留めます。
リュドミラ・パヴリチェンコさんは普通の兵士を狙うよりも、敵のスナイパーを狙うという「カウンタースナイピング」を得意としていました。
これにより敵はリュドミラ・パヴリチェンコさんを恐れ、リュドミラ・パヴリチェンコさん専用に砲撃部隊を編成するくらい用心しました。
結局この作戦は成功し、リュドミラ・パヴリチェンコさんは負傷します。
この負傷が元で戦場には帰ってこれなくなりますが、第二次世界大戦だけで309人も仕留める戦果をあげました。
負傷後は後進の育成に専念していたようです。
1943年にはソ連邦英雄賞を受賞し、その時の写真が切手になるほど人気がありました。
一般人が目にする切手に軍人を採用しているということは、いかに国内で人気があり、英雄として認められていたかわかる逸話となります。
お隣りの韓国では徴兵制があり、現在は男性だけが入隊しますが、男女平等の流れで女性も入隊すべきなのではないかという署名が、30万人ほど集まったようです。
これからは男性でも女性でも関係なく、WORKOUTが必要になるかもしれませんね。
出典:リュドミラ・パヴリチェンコさんのWikipediaトップページ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3