こんにちは。大関です。
数度にわたって最強の軍人さんを書いてきました。
やはりWORKOUTをする際の目標設定として、見せるだけではない実用的な筋力を有する軍人さんのことを知っておくことは有効だと思います。
今まで海外も含めて書いてきましたが、今回は船坂弘さんと同様、日本人で活躍した軍人さんにスポットを当てていきます。
船坂弘さんをとりあげた過去記事はコチラ↓
船坂弘さんは打たれ強さが突出しており、どれだけ傷ついても翌日にはすぐに治るという鬼舞辻無惨並みの再生力がありました。
そして陸軍として戦い、なかやまきんに君並みのパワーで敵を倒す人です。
今回紹介するのは、肉体的な頑丈さというよりは戦闘機乗りとして空を支配し、空戦の神様、撃墜王と言われた「杉田庄一」さんです。
杉田庄一さんの経歴からその最期まで
杉田庄一さんは1924年に新潟県に生まれます。
主に活躍した時期は太平洋戦争の時で、以前取り上げたハンス=ウルリッヒ・ルーデルさんの活躍時期がかぶります。
ハンス=ウルリッヒ・ルーデルさんの戦果はもっと桁外れなので気になった方はチェックしてみてください↓
しかし、当時の日本は物資も少なく、装備が整っていない状況なので比較はできませんが、確認できているだけで、120機の撃墜記録があり、これはハンス=ウルリッヒ・ルーデルさんでも再現できるのか難しいものになっています。
この2人が同条件で戦うところも見てみたかったですね。
しかし最初から全ての任務を簡単にこなしていたわけではもちろんなく、1943年には前線視察をするという長官の山本五十六さんの護衛の任をし、海軍甲事件に巻き込まれます。
海軍甲事件では護衛対象である山本五十六さんが乗る攻撃機が撃墜されて戦死しており、杉田庄一さんもエンジンに被弾して大やけどを負うということがありました。
しかしその後は活躍し、上述の通り戦果をあげ、空戦の神様と呼ばれるほど撃墜数をあげていきました。
杉田庄一さんは飛行機に乗ると戦意が上昇し、攻撃的で激烈な戦い方をしましたが、後輩の面倒見は良く、豪放磊落な人物だったようです。
周りも「杉さん、杉さん」と呼んで慕われていたようですが、1945年4月15日に敵機が自軍に接近した折り、上層部が迎撃のために離陸する命令を出しますが、おそらく敵の接近が早く離陸中止命令に切り替えました。
そして退避が間に合わず、空戦の神様は離陸前に撃墜されて戦死してしまいました。
没年齢は20歳。
あまりに短く濃い人生だと思います。
太平洋戦争時に活躍した人の話を調べるとかなり若いうちから活躍している人が多く驚きます。
杉田庄一さんを「杉さん」と慕っていた後輩は10代ということになります。
それを人材が不足していたと捉えることもできますが、それだけ年齢関係なく本気で生きていた人が多かったということでもあります。
これだけ頑張って生きた人に比べたらWORKOUTは簡単だと思います。
WORKOUTを継続していきましょう。