大峰山遭難事故 生還した高校生には大変な毎日と奇跡が待っていた 後編

ワクセル 嶋村吉洋も興味を持つ大峰山遭難事故の救助

こんにちは。大関です。

今回は先日アップした【大峰山遭難事故】の記事の後編になります。

まだ【大峰山遭難事故】の前編の記事を読んでいない方は先のそちらを読んでいただくことをおすすめします。


無事、救助された高校生たちにはおにぎりが渡されましたが、数日間ほとんど食べていなかったので、いきなりは食べれないほど衰弱していました。

しかし当時のマスコミにより行き過ぎた取材が始まります。

マスコミの取材や学校の対応

ワクセル 嶋村吉洋も興味を持つ大峰山遭難事故のマスコミ取材


高校生の4人は健康状態を調べてもらい、命に別状はないとわかるとすぐに近くの旅館で用意された共同記者会見場につれていかれました。

マスコミは夕方のニュース番組に間に合わせたいということで深夜まで取材を敢行します。

そして記者会見が終わったら警察の取り調べ、学校の取り調べ、そしてリーダーだけは各社マスコミの取材が続き、すべて終わった時にリーダーは気を失ってしまったそうです。

さらに登山計画が未届けだったことから、学校からは無期限停学処分を下されてしまいます。

学校はすべての部活に対し、夏の対外試合を自粛という決定をし、山岳サークルの4人の高校生たちはとても責任を感じたようです。

救助費用の請求もされたようですが、捜索に関わったのが200人という人数で数百万の請求がきました。

そして、自身は停学処分とマスコミから追及されているので家から出れず、菓子折りを持って関係者に感謝を伝えることも家族がかわりに行うしかなく、心苦しかったようです。

感謝と謝罪を伝える機会にめぐまれる

ワクセル 嶋村吉洋も興味を持つ大峰山遭難事故の教師


数十年が経ち、リーダーはやっぱり山が好きで登山を続けていました。

そして2016年に事故を起こした大峰山にまた登ろうと思い立ちます。

無事登頂し、下山の最中に親切な地元の人に出会って麓まで送ってもらうことになりました。

そこで自身は大峰山遭難事故が起こった時の、当事者の高校生だったということを話します。

この時、話を聞いていた地元の人は麓に行って会う予定の人がいたのですが、なんとその人は大峰山遭難事故が起こった時の救助隊の隊長をしていた人物だと教えてくれました。

そして救助隊長に引き合わせてもらい、今までできなかった感謝と謝罪をこめてリーダーはあの時の高校生ですと告白をしました。

一瞬空気が張りつめましたが、救助隊長は「あの高校生4人の遭難事故、天気が毎日悪かった。雷雨が激しくて皆、胸まで川に浸かって探しておりました。私は下の神童子から探していました。」

と話し始めます。

「その他の捜索隊の班は、小笹の右尾根から上から攻めて、確か第2班が帰り際に発見し、私の所へ連絡が入ったのを覚えています。小笹の一の滝と二の谷の間に挟まれて出られなかったのでしょう。」

と高校生達が発見された状況を詳細に覚えており、説明してくれました。

救助隊員はリーダーに怒るどころか、満月に照らされた山を指さして「前の尾根をごらんなさい。あれが稲村に直接登る尾根です。カンスケ尾です。」と地元の人しか知らない秘密のルートも教えてくれました。

さらに他にも大峰山のたくさんのルートを教えてもらったようです。

リーダーはずっとできなかった感謝と謝罪ができ、ずっとあった苦しい感情が救われました。

そして救助隊長と別れる時、救助隊長が車に乗って去って行くのを車のテールランプが消えるまで頭を下げて見送ったそうです。

現在、リーダーは教師をしており、山での経験や救助隊長のことを子供達に語り、子供が卒業する時には自身の登山姿の写真が入った「お守りカード」を手作りして贈っています。

大変な思いをしたからこそ説得力もあると思いますし、人への感謝を伝えられる教師になれるのだと思います。

大峰山の事故をまとめていてWORKOUTには山登りは効果的と思いながらもやはり登山は怖いと思ってしまいました。

読者の皆さんも登山でWORKOUTをする時はしっかり準備をし、安全に登りましょう。