プロ野球選手が引退する時の心が温かくなる忖度プレーと引退試合クラッシャー

ワクセル主催嶋村吉洋さんもコラムに書きたい名選手の引退

こんにちは。大関です。

今年のプロ野球のリーグ優勝チームが決まりました。

とは言ってもこの記事は1週間ほど前に書いているので、読んでいる方には少し前の出来事に感じると思います。

セ・リーグは阪神タイガース、パ・リーグはオリックスバファローズがリーグ優勝しました。

ここからクライマックスシリーズがあって日本シリーズに進むチームが決まり、日本シリーズでその年の日本一のチームが決定します。

そんな盛り上がる期間ですが、プロ野球選手にとっては自身が翌年もプレーできるのか、契約が解除されるのかが決まる時期でもあります。

そして大活躍し、ファンにも愛された選手は引退試合を行う場合もあります。

今回は忖度をされるほど愛された選手の引退試合をご紹介します。

東京ヤクルトスワローズ 鈴木健さん

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出典:鈴木健年度別出場成績 | プロフィール・成績・速報・ドラフト・ニュースなど選手情報 – 週刊ベースボールONLINE


まず1人目は1987年にドラフト1位で西武ライオンズに入団し、後に東京ヤクルトスワローズに移籍した『鈴木健(すずきけん)』さんです。

鈴木健さんは黄金時代の西武ライオンズに入団し90年代は4番バッターとして大活躍しました。

2003年からはヤクルトスワローズに移籍し、そこでも大活躍しプロ20年目の2007年に引退します。

その頃には持病の腰痛の悪化など故障が重なり、出場機会も減少していました。

鈴木健さんの引退試合は10月4日。

8回1アウトランナーなしの場面で『宮本慎也(みやもとしんや)』さんの代打で出場します。

その現役最後の打席は家族も球場に見に来ていました。

投手は横浜ベイスターズの『横山道哉(よこやまゆきや)』さんです。

横山道哉さんは全て直球勝負。

鈴木健さんはファウルで粘り、13球目に差し込まれサードへのファウルフライを打ち上げます。

ここで当時横浜ベイスターズのサードだった『村田修一(むらたしゅういち)』さんはわざと捕球しませんでした。

そして横山道哉さんが投じた15球目、鈴木健さんはセンター前にきれいなヒットを打ち、有終の美を飾ることができました。

鈴木健さんは一塁上でヘルメットを掲げて笑顔でファンに感謝し、涙を流しながらベンチに下がって行きました。

そして試合後のインタビューでは「20年間精一杯やってきました。悔いはありません。世界一の幸せ者です。」とコメントをしています。

13球目のファウルフライを捕球していたらこんな結末にならなかったのでサードの村田修一さんはファインプレーですね。

阪神タイガース ランディ・メッセンジャーさん

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出典:タイガースにすべてを捧げた誇り高きエース、メッセンジャーが「遺したもの」 | BASEBALL KING


2人目は阪神タイガースの助っ人外国人のランディ・メッセンジャーさんです。

メッセンジャーさんはアメリカ出身のメジャーリーガーでMAX158キロの速球を武器にメジャーリーグでも大活躍をしていました。

2008年に当時シアトル・マリナーズのキャッチャーの『城島健司(じょうじまけんじ)』さんが「日本でも通用する」と太鼓判を押し、2010年に阪神タイガースが獲得しました。

メッセンジャーさんは日本で10シーズン活躍し6度開幕投手に任命されるなど阪神タイガースのエースとして活躍しました。

他にも通算1475奪三振、8年連続規定投球回到達などNPBの外国人選手記録を数多く持っています。

しかし、2019年に右肩の故障があり、復帰するも思うような成績が出ず「限界にきていると体が言っているので仕方ないと思い、決断しました」と引退宣言をします。

外国人選手が引退会見を開き、引退試合もするのは異例中の異例でした。

メッセンジャーさんの引退試合は2019年9月29日。

場所は本拠地の阪神甲子園球場でした。

メッセンジャーさんは先発として先頭バッターの中日ドラゴンズの『大島洋平(おおしまようへい)』さんと対戦します。

カウントはフルカウントになり、渾身の146キロのストレートを大島洋平さんが空振り三振しメッセンジャーさんは有終の美を飾りました。

元メジャーリーガーとはいえ助っ人外国人は外様で替えはいくらでもいるという存在です。

それだけ世界の野球人口も多いのでダメなら即契約解除される厳しい世界ですが、その中で長年活躍しファンに愛されたからこそ引退試合が行われるわけです。

そして相手チームも敬意を込めて三振をしています。

メッセンジャーさんの事例はとても珍しいと思います。

広島カープ 前田智徳さん

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出典:前田智徳 – Wikipedia


3人目は1989年にドラフト4位で広島カープに入団した『前田智徳(まえだとものり)』さんです。

前田智徳さんは23年間のプロ野球人生の全てを広島カープで過ごしました。

それだけ球団からも大切にされ、ファンからも愛された選手でした。

ファンからだけでなく選手や指導者からも「天才」と称されるバッティング技術を武器に現役時代に打率3割を11回記録し、数々の記録を残しました。

またバッティングフォームも美しく、三冠王を三度獲得した『落合博満(おちあいひろみつ)』さんに「真似していいのは前田だけ」と言わしめる程でした。

そんな前田智徳さんにも引退の時は訪れます。

引退試合は2013年10月3日でした。

8回裏に代打として前田智徳さんが登場します。

球場は歓声に包まれますが、結果はピッチャーゴロでした。

歓声はため息に変わります。

この頃の前田智徳さんは代打専門のような存在になっています。

若い頃にアキレス腱断裂をしていたので足に古傷があり、その故障が23年間のプロ野球人生に影響を与えていました。

そういったこともあって恐らく代打で出場し、9回の守備には別の選手が出場する予定だったと思います。

しかし監督のはからいで広島カープファンで埋め尽くされたライトの守備に前田智徳さんがつくこととなりました。

これに対して対戦相手の中日ドラゴンズの選手も前田智徳さんにライトフライを捕ってもらえるように右打ちに徹します。

しかしなかなかライトにフライが飛ばず、中日ドラゴンズの右打ちの名手の『平田良介(ひらたりょうすけ)』さんに打順が回ります。

この時、投手は外角にしか投げず、平田良介さんは流し打ちをしまくるという忖度たっぷりなプレーをしますが、こういった時にうまく飛びません。

結果、足が悪い前田智徳さんを右へ左へ走らせ、アナウンサーも苦笑しながら「前田も大変です」とコメントをしていました。

しかしライトに打球が飛んで観客は大喜びですし、選手からも愛された選手だからこそ最後まで周りが見せ場を作ろうとしたエピソードは感動しますね。

引退試合クラッシャーの横浜ベイスターズ 村田修一さん

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出典:プロ野球:村田修一の軌跡 [写真特集15/12] | 毎日新聞


1人目に取り上げた鈴木健さんの引退試合でサードファウルフライを捕球しないというファインプレーを見せた村田修一さんですが、実は引退試合をぶち壊したこともあります。

村田修一さんは2002年のドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団し読売ジャイアンツ、独立リーグとキャリアを積みました。

引退試合クラッシャーとして村田修一さんがやらかしてしまったのは2007年10月6日の広島カープ戦で『佐々岡真司(ささおかしんじ)』さんの引退試合です。

佐々岡真司さんは9回2アウトから登板しました。

普通の投手の引退試合では三振をして送り出すということが暗黙の了解です。

カウント1ストライク3ボールで高めに投じたストレートはボール球でした。

この時村田修一さんはボール球でフォアボールは一番よくないのでどんな球でもバットは振ろうと思っていたようです。

それが見事な特大ソロホームランになり、球場は凍り付きました。

しかしこの時、村田修一さんはホームラン争いをしており、広島ベンチからは対戦前に「真剣勝負だから打っても構わない」と伝言があったようです。

そして当の佐々岡真司さんも「真剣勝負をしてくれて嬉しかった。打たれて吹っ切れたし気持ちよかった」とコメントを残しています。

今年は何人の選手が引退するでしょうか。

できればみんな引退せずにいつまでも活躍する所を見ていたいですが年齢や怪我もあり仕方ありません。

有終の美を飾って、セカンドキャリアを気持ちよくスタートして欲しいですね。

プロのスポーツ選手の活躍に刺激をもらいながらWORKOUTを継続していきましょう。

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