
こんにちは。大関です。
海外から海をわたって日本に来て活躍している人は多いと思います。
例えば野球選手ならヤクルトや巨人、DeNAベイスターズで活躍した「アレックス・ラミレス」さんなどです。
外国人選手として初の2000本安打を打ち、監督をし、現在では帰化して日本の国籍を所有しています。
「外国人初」というのはやはりそれまでの常識を打ち破ったということなので、とても価値があると思います。
今回は同じ日本人として誇りに思える人物の紹介です。
『西岡京治(にしおかけいじ)』さんという人物で、この人はブータンで農業改革を行い、その功績で亡くなった時にはブータンで国葬されました。
幸せの国・ブータンとは
ブータンといえば「幸せの国」と呼ばれることが最大の特徴だと思います。
教育と医療は無償で受けられるようになっており、貧富の差に関係なく子供を育て、健康でいられるのはとても良いですね。
しかし、経済的な豊かさには課題があります。
国民は仏教を信仰しており、物理的な豊かさよりも精神的な豊かさを重要視する価値観が浸透しています。
そしてその精神性をマスコミが取り上げ、貧しくても小さなことに幸せを感じ取る力が強い国民性として「幸せの国」と呼ばれたという歴史があるそうです。
西岡京治さんがブータンを訪れた時も農業国でありながら食料自給率が60%ほどでした。
農業革命を行い、西岡京治さんは外国人初の快挙を成し遂げる
1933年に西岡京治さんは日本統治時代の朝鮮の京城府(現:韓国ソウル)で生まれました。
第二次世界大戦後の日本に帰国して農学を修め、ネパールに学術調査のために訪れて研究をしていました。
そして1964年に海外技術協力事業団(現:国際協力機構)として西岡京治さんと里子夫人はブータンに入国します。
それまでもブータンでは海外から農業改革を目指した外国人が来ていたようでしたが、自国のやり方を押し付けられ成果が上がっていませんでした。
しかし、西岡京治さんはブータンに合うやり方を模索して成果を出し野菜の収穫率や自給率を大幅に改善しました。
このことからブータンでは民間人が手にできる最高の爵位である「ダショー」を受けました。
これはブータンにおいて外国人に授与されるのは史上初で、さらに唯一の例です。
その後も西岡京治さんは28年間ブータンに滞在し、荒れ地を開墾してブータンの農業振興に尽力しました。
そして帰国直前に敗血症にかかってしまい59歳で亡くなってしまいました。
ブータン国王は西岡京治さんに対して国葬を執り行い、亡骸は里子夫人の希望でパロ盆地という場所を見渡せる丘に埋葬されました。
海外で活躍する日本人の話を見ると改めて頑張ろうと気持ちを新たにできると思います。
まずはWORKOUTの目標に向かって努力を継続していきましょう。