1番好きな落語の噺『紺屋高尾』を紹介

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんも映画化したい紺屋高尾

こんにちは。大関です。

以前に何度かこのブログで落語について触れています。

これは単純に僕が定期的に落語熱に当てられるからです。

そして「いいなぁ」と思っていると、このブログのネタを考える時も気づいたら落語のことを考えて書いてしまうということです。

今回も落語ネタです。

そして落語の中でも1番好きな『紺屋高尾(こうやたかお)』という噺について書いていきます。

紺屋高尾についての前提知識

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんも映画化したい紺屋高尾


紺屋高尾は江戸時代の噺です。

江戸時代は戦国の世が終わり厭戦の気分が民衆にはあったと思います。

そんな気分の中で娯楽が少しずつ出てきた頃です。

歌舞伎や相撲の人気が出始めたのではないでしょうか。

落語も発祥は江戸時代かなと思います。

しかし娯楽はほとんど昼間にしか行われません。

当時は夜になってしまえば暗く、明かりは火しかありません。

しかし油も庶民はバンバン使うわけにはいきません。

すると夜に開いている娯楽施設は浅草の裏手にあった𠮷原くらいしかないということになります。

現代のようにネットもなければWBCのような熱狂できるようなスポーツのイベントもない時代です。

なので日本の全ての男が憧れたのが傾城、傾国と言われる程の美貌と教養を持ち合わせた花魁だったと予想できます。

特に当時は士農工商という身分制度で、例えば農民の子は農民になるしかない時代でした。

しかし𠮷原の中では身分制度は関係なく「粋がモテて野暮が嫌われる」という世界だったようです。

こうなると農民も商人もお大尽になりさえすれば、𠮷原の中では自由に振舞えたのですから夢がありますね。

当時の𠮷原は、花魁が𠮷原の中で一番偉いという風潮でした。

お客が待つ部屋に花魁が来ると花魁は上座に座ります。

お客が武士でも将軍でも花魁は上座に座りました。

そして初回では花魁に話しかけることもできません。

2回目に行って初めて口を聞いてもらえます。

それも花魁が気に入らなければ口を聞いてもらえません。

そして3回目、馴染みの客となって初めて枕を共にすることができますが、これも花魁が気に入らなければなしえません。

全ての決定権は花魁にあるというのが𠮷原の中でのルールでした。

さらに1人の花魁に惚れたら他の花魁の接待を受けてはいけないという掟がお客にも課せられます。

浮気がバレると二度と𠮷原に足を踏み入れることはできなくなります。

ただこういった趣の𠮷原は江戸が始まって最初の頃にはありました。

しかし徐々に安く遊べる簡易的な𠮷原のような場所が江戸に出来始めます。

これを岡場所といいますが、ここは𠮷原よりも安く、お金さえ払えば野暮な男だろうが浮気症な男だろうが誰でも相手をするという所です。

この岡場所の出現で𠮷原の中で育まれた花魁とお客の粋な遊び方も消えていってしまったようですね。

ただ落語『紺屋高尾』は粋な時代の噺です。

落語『紺屋高尾』のあらすじ

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんも映画化したい紺屋高尾

出典:Wikipedia 紺屋高尾のページ


六兵衛という親方がいました。

六兵衛には久蔵という奉公人がいます。

六兵衛から見ると久蔵は生真面目で仕事はきっちりしますが不器用な男という印象です。

ある日久蔵が体調が悪くて臥せっていると聞いて六兵衛は見舞いに行きました。

すると久蔵は「もう生きていけない。」と言います。

しかし顔色は悪くありません。

話を聞くと「お医者様でも草津の湯でも」この病気は治らないと言います。

これは「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」ということわざです。

この言葉を聞いて六兵衛は久蔵から話を聞こうとします。

久蔵は話しにくそうでしたが、しぶしぶ話を始めました。

久蔵は25歳で特に浮いた話もなく過ごしていましたが友人に誘われて初めて𠮷原の大門をくぐりました。

そこで初めて花魁道中を見ました。

たくさんの花魁が練り歩いている中にひときわ輝いて見える花魁がおり、それが「三浦屋」の『高尾』でした。

ちなみに高尾という名前は本名ではなく名跡で、高尾に相応しい花魁に代々受け継がれています。

江戸には3大太夫がおり、その中の1人が高尾太夫でした。

つまり久蔵は日本の中でトップ中のトップでみんなから憧れられている女性に惚れてしまったということです。

しかしそれが叶わない恋なのもわかっており、それで何もかも嫌になって臥せっていたのでした。

六兵衛は久蔵を奮い立たせようとして「高尾だろうが売り物には違いねえんだから買ってみろ」と言います。

久蔵は「いくらなら買えますか?」と質問します。

六兵衛は言いづらそうに「まぁ…15両もあれば買えるだろうよ…」と言います。

1両は現在のお金だと約18万円~22万円です。

つまり1晩で270万円~330万円を景気よく使うことで初めて高尾に会うことができます。

しかし久蔵は「3年飲むものも飲まず、食うものも食わずに働けば貯められますか?」と六兵衛に聞きます。

普段の久蔵の働きぶりをみていた六兵衛は「貯められる」と答えます。

WORKOUT的にはたんぱく質はなんとか確保して欲しいと思いますね。

そこから久蔵は3年間飲むものも飲まず、食べるものも食べずに働きます。

最初は高尾のことをよく話していましたが徐々に高尾のことも言わなくなりました。

3年が経ち久蔵は久しぶりの休みをとります。

その頃には六兵衛は久蔵の働きぶりをみて養子にもらって跡を継いでもらおうと思っていました。

久蔵は六兵衛に「お金はいくら貯まりました?」と聞きました。

六兵衛は「18両と2分貯まっている。あと2両貯めたら故郷に帰って親に顔を見せて20両渡せ。」と言います。

さらに「見ず知らずに人にもらった千両、万両より我が子にもらった20両の方が親は喜ぶ。親孝行したらここに戻ってここを継いでくれないか。」と言いました。

久蔵は「ありがとうございます。で、そのうちの15両使わせてください。」と言います。

そこで六兵衛は最近高尾のことは言葉に出さなくても諦めてなかったことを知ります。

六兵衛も豪快な親方なので「1晩で15両使っちまう心意気が気に入った」と言いました。

しかし紺屋という染物職人の恰好で𠮷原に言っても相手にしてくれないだろうということで𠮷原でよく遊んでいる町医者に一緒にいってもらうことにします。

町医者は久蔵の身なりを整えさせ、お大尽の息子の若旦那として𠮷原に行くようにアドバイスします。

そして手を出すと指先が染物で青く染まっててバレてしまうので手を着物から出さないように言いました。

さらに職人の言葉が出るとバレるので返事は「あいあい」とだけ言ってくれればあとはこちらでなんとかすると言います。

そして大門をくぐって三浦屋へ。

しかしまず茶屋でお酒を飲んだりご飯を食べたりします。

そうやって茶屋にお金を落とすと茶屋の女主人が「お目当ては?」と聞いてきます。

そこで初めて「三浦屋の高尾をお願いしたい。」と要望を言うことができます。

高尾は売れっ子なので女主人は「無理だと思いますが聞いてみます。」と言って下がりました。

すると高尾は偶然空いており久蔵は三浦屋に行くことができました。

ただ上記のように初回のお客さんは口も聞いてもらえません。

しかしそこは落語という物語なので気に入ってもらって枕を共にします。

朝になると高尾はもう起きていて化粧を直し、久蔵のために煙草の用意をしてくれています。

そして高尾は「主、今度いつ来てくれるんざます?」と聞いてきます。

江戸時代の花魁の間で使われたざます言葉は、昭和の時代には山の手のお嬢さんが使うようになり、お金持ちの奥さんや娘が使う言葉のようになりましたが起源は花魁です。

久蔵は「あいあい。」しか答えられません。

高尾は「ねえ、主、今度はいつ来るんざます?」と聞いてきます。

久蔵はたまらず「3年たったらまた来ます。実はこの指を見てもらうとわかる通り紺屋で奉公する職人なんです。」と真実を告げます。

「3年前、あなたを見て飲まず、食わずで働いたら会えるって聞いたので。だから3年たったらまた来ます。」と言いました。

この言葉に感銘を受けた高尾は「来年3月に年が明けたら、主の側に置いておくんなまし。」と言いました。

年が明けるというのは奉公する時期が終わって自由の身になることを言います。

久蔵はその言葉を聞いて喜び、職人仲間に言いますが花魁は「そんなことを言うもの」と取り合いません。

そして3月になると本当に高尾が六兵衛の店を訪ね、「久蔵さんの女房になるために来ました。」と言いました。

そして久蔵と高尾は仲睦まじく一緒に染物職人の仕事に励み、高尾は『紺屋高尾』と呼ばれるようになりましたという噺です。

WORKOUTもですが限界に挑戦してる人はかっこよく、人としての魅力に溢れます。

これからもWORKOUTや自身が挑戦できることに全力を尽くしましょう。

ワクセルを主催する嶋村吉洋さんも映画化したい紺屋高尾

出典:染物職人 | 京屋染物店